矢野直人
Naoto Yano
13,200Yen(Tax Included)
13,200Yen(Tax Included)
15,400Yen(Tax Included)
13,200Yen(Tax Included)
13,200Yen(Tax Included)
9,900Yen(Tax Included)
矢野直人
Naoto Yano
「矢野直人」、焼物好きの間では言わずと知れた唐津会のホープである。5年間のアメリカ留学で油彩を学び、宗教観の異なる人達との出会いから、父が大切にしてきた物造りの思いや日本文化を肌で感じる。帰国後は佐賀県立有田窯業大学校に入学し、嘱託講師を経て、殿山窯で作陶を開始する。奥高麗茶碗(古唐津)との邂逅で陶芸家としての方向性が確立し、独学で数々の経験を重ねて邁進する。

古唐津は桃山時代から江戸初期を中心に隆盛するが、1616(元和2)年に日本最初の磁器(初期伊万里)が生み出されると、有田磁器産業は飛躍的に発展して唐津焼に衝撃と深刻な影響を与える事になった。こうして唐津焼を含めた陶器は衰退の一途を辿る事となるが、僅かな期間に光り輝いた古唐津は今日において非常に高い人気を博している。矢野さんも古唐津をこよなく愛し、その情熱は作陶の隅々にまで現れている。

矢野さんは古唐津で実際に使用された「砂岩」と呼ばれる原料を自ら採取する事から始める。市販の粘土は一切買わない。このこだわりと作陶に向かう姿勢が他の追随を許さない高みへと繋がっているものだろう。鉄分を削ぎ落とした砂岩を砕く音が響き渡る。均一になるようスタンパーで約2日間かけて粉状にする。




ここから水簸の作業に移る。粉状になった砂岩に水を加えて撹拌する。これにより不純物は沈み、上澄みの部分を別のバケツに移す。移したバケツの底に沈殿したものが陶土となる。矢野さんは朝鮮で焼かれていた白磁技術が唐津焼に発展したと説明するが、安定した陶土を得るに至るまで相当な苦労を重ねながら試行錯誤の末に到達したものだろう。



矢野さんの轆轤技術は一言で美しい。本当に研究熱心で古陶磁を眺められている時もふと思うが、単に鑑賞するだけに留まらず背景にある制作技術までを辿っているのだろう。この探求心こそが矢野さんの原動力でもあり、確かな技術を裏付けている。



矢野さんは伝統的な割竹式登窯を再現して窯焚きに臨む。現在、焼物の多くは電気窯やガス窯で焼かれる。微調整が容易で安定し、設置・維持コストを抑える事ができる為だ。薪窯は焼成が難しく、結果が不安定であるが、思いがけない窯変や風合いを生み出す事がある。矢野さんが窯焚きにプライドを持ってこだわる理由もここにある。胴木間(一番先頭の部屋)の焚口から薪をくべて12時間で1,200度まで引き上げる。作品を詰めている一の間の焚口から薪をくべて3時間で温度を1,300度まで引き上げる。同様に二の間、三の間と進んで四の間までの全てを焼き上げるのに24時間を要する。燃え盛る焚口に薪を何度も投げ入れ、炎をコントロールする技術は教科書通りでなく、経験と勘によって培われる。







矢野さんの生み出す作品は独特の大らかさがありながら、キリッと美しく引き締まっている。細部にまで使い手に寄り添った心配りが見て取れる。天真爛漫でありながら誠実な矢野さんの人柄を表しているようだ。

唐津焼には「作り手八分、使い手二分」という言葉がある。生み出された器物は使い手に委ねられ、日々成長を遂げていく。唐津焼の醍醐味は生活に即した大らかさにあり、古今の愛陶家を魅力し続けている。

豊臣秀吉が文禄・慶長の役で拠点とした名護屋城跡のほど近くの高台に位置する殿山窯。この眼下から無数の船が朝鮮を目指して旅立った。約200km先にある唐津焼のルーツを見つめる少年のように輝いた眼差しは往時の陶工に敬意を払いながら独自の確かな方向性を突き進んでいる。今日も矢野さんは歩みを止めない。

Naoto Yano
矢野直人
1976-
Naoto Yano was born in saga prefecture.
In 1994, study in america for 5 years.
In 2002, graduated from Arita College of Ceramics.
In 2003, became the Temporary Lecturer of the Arita College of Ceramics.
In 2004, started making pottery at home(Tonoyama kiln).
In 2008, made pottery in korea for 6 months.
In 2015, built the climbing kiln.
Equipped with a discerning eye and outstanding ability, he is the driving force behind the popularity of karatsu ware today.

Photography:Akira Eto
Text:Takashi Imabayashi