奥高麗は古唐津の最高峰として名高い古格ある茶碗です。侘びた佇まいは奥ゆかしさと静けさを醸し出し、高麗茶碗とは異なる素朴な大らかさを備えています。肌合い、寸法、形状等、茶人や研究者によって境界線となる概念の幅がありますが、理屈を超えた掴みどころがない風格は国焼茶碗における一つの到達点を示しています。
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- 商品コード
- 240414-1
- 時代
- 桃山~江戸初期
16世紀末期~17世紀初期
- 重量
- 570g
- 口径
- 15.0cm
- 高さ
- 8.7cm
- 底径
- 5.9cm
- 備考
- 仕覆
時代箱(桐箱)
塗箱
- 来歴
- 別冊太陽 野育ちなれど格高し 古唐津、平凡社、P60、所載品
※所載書籍付
- 状態
- 口縁に漆直しと入があります
抜群の土味と肌合い、伝世の良好な状態を保っています。
奥高麗は古唐津におきまして、
最も声価が高い大振りの茶碗です。
朝鮮陶工の故郷を想望した呼称であり、
熊川や井戸等の高麗茶碗を手本にして焼成された物と推測されています。
還元焼成により灰鼠色を呈した滑らかな肌合いです。
涙痕状に流れ留まった釉薬は白濁し、
見所ある景色となっています。
「一樂、二萩、三唐津」と謳われるように、
大振りの奥高麗は濃茶席の主役として、
唯一無二の存在感を放ちます。
伝世の見事な土味に魅了されます。
片薄の三日月高台で中心に兜巾を残します。
黒柿を嵌め込んだ最上質の時代箱に収められ、
塗箱が添った二重箱となります。
野趣の美をそのままに捉えた書籍
「野育ちなれど格高し 古唐津」
に所載された現品です。
奥高麗
奥高麗は古唐津の一種で最も声価が高い大振りの茶碗であり、
井戸茶碗に並ぶとまで評されています。
高麗(朝鮮半島)の奥で焼成された物、高麗の奥から渡ってきた陶工が焼成した物等、
名称については様々な諸説がありますが、
高麗茶碗に似たところから名付けられたとするのが穏当です。
「奥高麗」という名称は江戸中期以前の茶会記には確認する事ができません。
雑器からの転用とは考え難いという見解もあり、
熊川や井戸等の高麗茶碗を手本に茶碗として焼成された物と推測されています。
市ノ瀬高麗神窯、甕屋の谷窯、道園窯、藤の川内窯、阿房谷窯、焼山窯、椎の峰窯、
川古窯の谷新窯、大草野窯、葭の元窯等で焼成されたと考えられています。
古唐津
唐津焼とは肥前国唐津藩を中心とした肥前地方で焼成された陶器です。
名称は唐津港から積み出しされた事に由来しており、
「一樂、二萩、三唐津」と謳われるように茶陶としても高い評価を受けています。
16世紀末期に佐賀県北部の唐津市北波多地区で、
岸岳城主・波多三河守親が朝鮮から陶工を召致して開窯したと推測されており、
この岸岳城下には唐津焼草創期の古窯跡が点在しています。
1593(文禄2)年に波多氏が豊臣秀吉の勘気に触れて改易されると、
岸岳陶工達は肥前各地に離散し(岸岳崩れ)、
寺沢志摩守広高が入封して肥前国唐津藩が成立しました。
波多氏改易と岸岳諸窯の廃業は、
1593(文禄2)年以前から古唐津が焼成されていた根拠の一つであり、
唐津焼創始については発掘調査や研究から天正年間(1573~92)頃と推測されています。
文禄・慶長の役(1592~98)で召致されてきた渡来陶工により、
桃山~江戸初期に素朴で優れた作品を多く焼成した隆盛期を迎える事になります。
文禄の役で豊臣秀吉が名護屋城に滞陣した際、
古田織部も1592(文禄元)年から約一年半滞在し、
唐津諸窯を直接指導した事が指摘されています。
又、連房式登窯も唐津から美濃に伝わって久尻元屋敷に築窯されており、
朝鮮からの技術導入が日本の窯業に齎した功績は計り知れません。
唐津焼の登場は「織部茶会記」に「唐津焼皿」という名称で1602(慶長7)年に初出し、
慶長年間(1596~1615)に集中して現れています。
17世紀中頃には「古唐津」という表記が茶会記で既に使用されています。
唐津焼はその殆どが一般庶民の日用品として量産された物ですが、
点茶が流行した桃山~江戸初期頃には茶人間の眼に留まって茶陶に見立てられました。
中には茶人や茶道具商による注文品もあり、
全体的な総数からすると極めて少ない事から特に高い評価を受けています。
17世紀に入ると唐津焼にとって大きな事件が生じる事になります。
渡来陶工・李参平(和名:金ヶ江三兵衛)による泉山陶石の発見と磁器焼成の成功です。
伊万里焼の生産拡大は唐津焼衰退に大きな影響を与えました。
江戸前期には三島唐津や二彩唐津に特色が見られるもの古唐津程の魅力は失われ、
以後は僅かに御用窯(御茶碗窯)が残るだけとなりました。
昭和初期頃に古唐津研究家の金原京一(陶片)氏、水町和三郎氏、古舘九一氏は、
肥前一帯の唐津古窯跡を次々と発掘して何万点という貴重な陶片資料を提供しました。
飾らぬ土味と郷愁を誘う豊かな色合いは朗らかさや健やかさに満ちており、
土と炎により生み出された芸術の真髄です。