動物文様の花形である兎文を題材とした天啓赤絵の名品です。月の輝きが赤と黄色で彩られ、飛び跳ねる兎の姿は初期伊万里吹墨兎文皿の原形とも捉える事ができます。5客揃いで伝世されてきた事に意義があり、約400年の時を経て、更にその価値を高めています。
- 時代
- 明時代末期
17世紀前半
- 状態
- 見事な色絵、秀抜な焼き上がりと優品の条件を満たしています
- 次第
- 桐箱(段箱)
- A
- 重量:199g
口径:16.4cm、高さ:2.8cm、底径:7.7cm
状態:完品(縁に虫喰があります)
- B
- 重量:169g
口径:16.2cm、高さ:2.7cm、底径:8.3cm
状態:完品(縁に虫喰があります)
- C
- 重量:183g
口径:16.3cm、高さ:2.9cm、底径:8.3cm
状態:完品(縁に虫喰があります)
高台にホツがありますが、完品の範疇です
- D
- 重量:205g
口径:16.3cm、高さ:2.8cm、底径:8.5cm
状態:縁に虫喰、薄い入があります
- E
- 重量:193g
口径:16.3cm、高さ:2.8cm、底径:8.0cm
状態:縁に虫喰、薄い入があります
天啓年間(1621~27)を中心に景徳鎮民窯で焼成された色絵磁器は「天啓赤絵」と呼ばれており、
古染付と比べて圧倒的に総数が少ない事から希少性が高いです。
国力の衰えと共に景徳鎮窯の作風は乱れていく一方、
自由奔放で軽妙洒脱と形容されるような大らかな意匠や作風が生み出されていきます。
兎は飛び跳ねる姿から飛躍、多産な事から豊穣と繁栄、
月に棲んでいる事からツキ(幸運)を招くと云われています。
古来より月と兎は馴染みが深く、「玉兎」や「月兎」等の異名が知られています。
初期伊万里においても明時代末期の古染付に類似する月兎文様が確認でき、
古染付の影響を受けたと推測されています。
舶来品として権力者や富裕層の需要を担った高級美術品であり、
中でも日本の茶人に珍重されました。
天啓赤絵
天啓赤絵とは明時代末期の天啓年間(1621~27)を中心に景徳鎮民窯で焼成された色絵です。
下地の染付に合わせて赤、緑、黄、黒等の色彩を焼き加えており、
洒脱で味わい深い自由奔放な作調に特色があります。
この時代は万暦帝の崩去で景徳鎮官窯が閉鎖され、民窯が生産販売の主導権を握っていました。
官窯に従事していた陶工も生計を立てる為に民窯に移り、官窯を窺わせる名品を残しました。
その殆どが天啓赤絵、古染付、祥瑞に属しています。
天啓赤絵の多くは素地と釉薬の収縮率の相違から釉薬が剥落して胎土を露しています。
まるで虫が喰ったように見えるその様子からこの現象を「虫喰」と呼びます。
口縁や角部等の釉薬が薄く掛かった所に虫喰が多く見られるのも特徴の一つです。
通常の焼物としては欠点対象にさえ成り得るものですが、
茶人はここに自然の雅味を見出して喜び、粗笨な味わいを美的効果として評価しました。