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TENPYODO

Kozan / Kosai / Koun Miyagawa

宮川香山 / 香斎 / 香雲

宮川香山 / 香斎 / 香雲


宮川長造 1797(寛政9)年~1860(万延元)年

宮川長造は宮川長兵衛の子として生まれました。
名を長造、号を真葛・香山、屋号を楽屋、通称を真葛長造・楽長造、法名を妙性法月といいます。
青木木米に師事して作陶生活に従事しました。
真葛ヶ原に開窯した事で観勝寺安井門跡より「真葛」の号を授かりました。
晩年には知恩院華頂宮門跡より「香山」の号を授かりました。
主に茶器を焼成して仁清写しに優れましたが、染付、赤絵、交趾にも佳品が多いです。
四男・寅之助(初代宮川香山)が「香山」の名を継いで、
1871(明治4)年に神奈川県横浜市で「真葛焼」を開窯しました。


宮川香山

初代 宮川香山 1842(天保13)年~1916(大正5)年

初代宮川香山は宮川長造の四男として京都に生まれました。
本名を寅之助といいます。
大雅堂孫長喜庵義亮に師事して絵画を学びました。
父に師事して熊次郎(2代宮川香斎)達と共に真葛窯に従事しました。
1860(万延元)年、父の没後に窯業を継いで明治維新前後には備前・虫明窯で指導しました。
1870(明治3)年に薩摩藩の小松帯刀より苗代川焼を改良するべく招かれますが、
小松の死去によって実現する事はありませんでした。
これを縁として薩摩御用商人・梅田半之助の勧めで横浜に輸出用陶業を開く事を求められ、
横浜商人・鈴木保兵衛から資金提供を受け、
1871(明治4)年に横浜太田村字富士山下(現:横浜市南区庚台)で真葛窯を開窯しました。
父が京都の真葛ヶ原に開窯した事からの号に因んで「真葛焼(別名:太田焼)」と称し、
薩摩錦手や粟田口焼を模造して「マクズ・ウェア」の名で海外にも輸出されました。
1873(明治6)年、ウィーン万国博覧会に出品して名誉金牌を受賞しました。
1876(明治9)年、フィラデルフィア万国博覧会で銅牌を受賞しました。
1877(明治10)年、京都博覧会で銀牌を受賞しました。
内国勧業博覧会で竜紋賞牌を受賞しました。
1878(明治11)年、パリ万国博覧会で金牌を受賞しました。
1879(明治12)年、シドニー万国博覧会で特絶一等賞を受賞しました。
この頃の受賞作品は半磁胎の花瓶や壷を主力とし、
細密な上絵装飾に彫刻的手法を加えたリアリズムの作風で他の追随を許しませんでした。
1881(明治14)年に内国勧業博覧会に出品した褐釉蟹貼付台付鉢(重要文化財)は代表作で、
帝国博物館に買い上げられて現在の東京国立博物館に伝わっています。
1883(明治16)年、アムステルダム万国博覧会で銀牌を受賞しました。
1888(明治21)年、バルセロナ万国博覧会で銅牌を受賞しました。
養子・半之助(兄・長平の子)に家督を譲って共同制作を執りました。
この頃は欧州の陶芸様式から大いに刺激を受けて従来の作風を転換し、
釉下彩磁や結晶釉の作品が中心を成すようになります。
1890(明治23)年、内国勧業博覧会で二等妙技賞を受賞しました。
1893(明治26)年、シカゴ万国博覧会で受賞しました。
1896(明治29)年、帝室技芸員となりました。
1898(明治31)年、日本美術院正員となりました。
1900(明治33)年、パリ万国博覧会で大賞を受賞しました。
1904(明治37)年、セントルイス万国博覧会で最高賞を受賞しました。
1905(明治38)年、リエージュ万国博覧会で大賞を受賞しました。
1910(明治43)年、日英博覧会で名誉大賞を受賞しました。
その卓越した技巧は「舶来香山」や「横浜真葛」と呼ばれて絶賛され、
国内外の展覧会で受賞を重ねて世界に真葛焼と宮川香山の名を馳せました。


2代 宮川香山 1859(安政6)年~1940(昭和15)年

2代宮川香山は初代宮川香山の兄・長平の子とされますが、
幼くして実父を失った為に初代宮川香山の養子となりました。
本名を半之助といいます。
1892(明治25)年、大日本窯業協会会員となりました。
1893(明治26)年、シカゴ万国博覧会で受賞しました。
その際に渡米してシンシナティのロックウッド窯を見学し、
更にイギリスの窯場も巡って欧州の最新陶業を視察しました。
1900(明治33)年、パリ万国博覧会で一等賞金牌を受賞しました。
1910(明治43)年、日英博物館には神奈川県出品人総代としてロンドンに赴きました。
1916(大正5)年、2代宮川香山を襲名しました。
1927(昭和2)年、「東陶会」を結成して板谷波山達と顧問となりました。
大正期以降は寧ろ東洋陶磁の伝統様式に回帰し、
中国陶磁や仁清・乾山等の色絵陶器をベースにした気品ある精巧な作風を展開しました。
欧州陶芸の状況に国内で最も精通し、明治初期以来の伝統様式を積極的に革新しました。


3代 宮川香山 1881(明治14)年~1945(昭和20)年

3代宮川香山は2代宮川香山の長男として生まれました。
本名を葛之輔といいます。
1945(昭和20)年、3代宮川香山は横浜大空襲で戦災死し、
自宅や窯を含めて全てを焼失し、事実上の横浜真葛焼はここで途絶えました。


4代 宮川香山 1884(明治17)年~1959(昭和34)年

4代宮川香山は2代宮川香山の次男として生まれました。
本名を智之助といいます。
空襲に遭わずに戦後に4代宮川香山を襲名して復興に努めましたが、
叶いませんでした。


宮川香斎

宮川家は伝統ある京焼の名門です。
祖は貞享年間(1684~88)に近江国坂田郡宮川村から京都に出て、
知恩院門前に居を構えた宮川小兵衛政一(祐閑)で、
長男・治兵衛政重(祐翁)が五条坂に茶碗屋治兵衛家を興して末裔が「宮川香斎」を名乗りました。
次男・長兵衛は末裔が神奈川県横浜市で一世を風靡した宮川香山の系統です。


初代 宮川香斎 1823(文政6)年~1865(慶応元)年

初代宮川香斎は治兵衛春房の長男として生まれました。
号を香斎・赤鯶・十水五石・治平(隠居後)といいます。
京都守護職・松平容保候の前で轆轤を披露し、「十水五石」の印を拝領しました。
嘉永年間(1848~54)頃に「香斎」を名乗りました。


2代 宮川香斎 1846(弘化3)年~1922(大正11)年

2代宮川香斎は初代宮川香斎の養子です。
本名を熊二郎、号を香斎、善翁、治兵衛(隠居後)といいます。
真葛ヶ原に開窯していた宮川長造に師事して寅之助(初代宮川香山)達と窯に従事しました。
1911(明治44)年に西本願寺の親鸞聖人六百五十年大遠忌で、
同寺寺宝の一文字呉器写茶碗の御用命を賜りました。
1913(大正2)年、長男・周造に家督を譲って隠居し、「治兵衛」を名乗りました。


3代 宮川香斎 1894(明治27)年~1919(大正8)年

3代宮川香斎は2代宮川香斎の長男として生まれました。
本名を周造、号を香斎・光誉といいます。
1913(大正2)年、3代宮川香斎を襲名しました。


4代 宮川香斎(初代 真葛香斎) 1897(明治30)年~1987(昭和62)年

4代宮川香斎は2代宮川香斎の次男として生まれました。
本名を金吾、号を香斎・永誉・治平(隠居後)といいます。
1909(明治42)年、京都徒弟伝習所轆轤科に入所し、卒業後は家業に従事しました。
1915(大正4)年頃、北大路魯山人が作陶の手ほどきを受けに陶房を訪れました。
1919(大正8)年、4代宮川香斎を襲名しました。
1929(昭和4)年、久田家11代無適斎宗也に入門して本格的に茶道具の制作に専念します。
1934(昭和9)年、無適斎宗也より「真葛焼」の箱書を授かって「真葛香斎」を名乗りました。
1972(昭和47)年、婿養子・三喜重に家督を譲って隠居し、「治平」を名乗りました。


5代 宮川香斎(2代 真葛香斎) 1922(大正11)年~2016(平成28)年

5代宮川香斎は東京に生まれました。
旧姓を杉本三喜重、号を香斎・治平(隠居後)といいます。
1946(昭和21)年、4代宮川香斎の長女と結婚して宮川家に入籍しました。
1972(昭和47)年、5代宮川香斎を襲名しました。
表千家13代即中斎宗左より「真葛」の印を授かりました。
2002(平成14)年、養子・和男に家督を譲って隠居し、「治平」を名乗りました。
久田家11代無適斎宗也の逝去後は12代尋牛斎宗也に指導を仰いで茶陶を制作しました。


6代 宮川香斎(3代 真葛香斎) 1944(昭和19)年生

6代宮川香斎は5代宮川香斎の養子です。
旧姓を池田和男、号を香斎といいます。
1970(昭和45)年、東京造形大学美術学部彫刻専攻を卒業しました。
1976(昭和51)年、5代宮川香斎の長女と結婚して宮川家に入籍しました。
2002(平成14)年、6代宮川香斎を襲名しました。
大徳寺僧堂龍翔寺嶺雲室・高田明浦老師より「真葛」の印を授かりました。


宮川香雲

初代 宮川香雲

初代宮川香雲は3代宮川香斎の子として生まれました。
宮川香斎家から分家して「龍谷窯」を開窯しました。


2代 宮川香雲 1938(昭和13)年生

2代宮川香雲は4代宮川香斎の甥で京都府に生まれました。
6代清水六兵衛に師事しました。
1980(昭和55)年、2代宮川香雲を襲名しました。

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