福岡県春日市の閑静な住宅街に佇む「菊鮨」。1988年に地元密着の町寿司として創業し、2012年に二代目・瀬口祐介さんが継承してから、その存在は大きく変貌を遂げました。現在ではミシュランの星を獲得し、半年先まで予約が埋まる福岡屈指の名店として名を馳せています。瀬口さんは博多の老舗鮨店で修業を重ねた後、モナコ公国の五つ星ホテル「メトロポール・モンテカルロ」でスーシェフを務め、アルベール大公の挙式においては、ジョエル・ロブション氏やアラン・デュカス氏と並び、鮨を振る舞うという鮨職人として異例の輝かしい経歴を持ちます。
エントランスには仙厓和尚による渡唐天神の画賛が掲げられています。渡唐(宋)天神とは室町時代に日本で生まれた説話で、菅原道真公(845-903)が夢の中で中国の禅僧・無準師範(1177-1249)に参禅し、一夜にして印可を得ると、 梅の一枝を携えて日本に戻ってきたというものです。「東風吹けば 諸越まても 匂ひけん 梅の主の 袖の一枝」。参禅の道服を纏い、一枝の梅を手にしたお姿、その芳香が遥か彼方の唐(中国)にまで及んだ事を詠んでいます。太宰府天満宮のお膝元に位置するこの地において、古の物語を現代の空間に息づかせる菊鮨の室礼は地域の歴史、誇り、美意識が深く響き合っています。

暖かな灯りに包まれた数寄屋造りの店内には、樹齢百年を超える銀杏の一枚板を用いたカウンターが据えられ、一食と向き合う特別なひと時に集中できる澄んだ空気が漂っています。


白衣に身を包み、木桶に向かって米と酢を合わせる所作は、まるで儀式のように静かで美しく、手の動きと酢の香りが、客席に座るお客様の心を自然と高鳴らせます。その光景は鮨を「味わう」という事に留まらず、鮨が生まれる瞬間に立ち会っているという経験を深く実感します。壁に添えられた花籃と切り取られた景色は、まるで一枚の絵画のように静謐です。

先立って供されるおつまみは、海の滋味を引き出し、季節の走りをそっと映し出します。その一品一品が、食の流れを静かに整え、心を鮨へと誘っていきます。入手困難な浜野まゆみ先生の作品を主に据え、江戸時代の本歌に迫りながら、現代感覚に沿った独自性が凛と輝き、柔らかな気配の中に確かな緊張感を宿しています。手に取るたび、視線を落とすたびに、料理と器の対話が立ち上がり、鮨へと向かう前の時間は、まるで序章のように、味覚と美意識をゆるやかに目覚めさせてくれます。



鮨を受け止めるのは、中国・明時代末期から清時代初期にかけて、景徳鎮窯で焼成された古染付の平皿。格調高い唐物が十客揃って並ぶ光景は壮観で、冴え渡る染付の気韻がひときわ目を引きます。中央には「百花の王」と讃えられる牡丹が堂々と咲き誇り、型打ち成形による段差が立体感を添え、雷文と七宝文が周囲を端正に巡ります。意匠の完成度と技術の精緻さが随所に宿り、鮨の輝きを引き立て、卓上に特別な風雅をもたらします。


古染付の平皿に据えられた鮨は、もはや味覚の領域を超え、視覚、心に響きます。器と鮨が呼応する瞬間、菊鮨の美意識が立ち上がり、五感を満たす気韻が広がります。

厳選された旬の食材が供されるのも心躍るひと時です。松葉ガニの身を丹念にほぐし、たっぷりとあしらった一貫は、繊細さの中に深い濃厚さを湛え、格別の余韻を残します。


差し出されるバフンウニは、潮の記憶を手渡されるかのようで、澄みきった滋味が豊かに広がります。


ご同席のお客様が持ち寄った古染付の菊文平盃は菊鮨を思い描きながら。北大路魯山人の志野さけのみは、格調高い室礼と見事に調和します。美術を愛好する瀬口さんとお客様の心通う穏やかなひと時。このシチュエーションが夢にまで出てくる程、菊鮨に足を運ぶ日を心待ちにしていたそうです。


店舗敷地内にはお弟子さんが研鑽を重ねる場として「博文」が静かに佇みます。その名には「知識を深め、それに通ずる」の意が込められ、博多の食文化に寄与したいという瀬口さんの真摯な想いが宿っています。菊鮨と博文を結ぶ緑豊かな庭園は、季節の移ろいを映す贅沢な空間です。


菊鮨は瀬口さんのお人柄そのものであり、その人間性と美意識が結晶した一つの芸術作品です。誠実さと温かさ、食材に向き合う実直な姿勢、研鑽を惜しまぬ探究心、そして、お客様への細やかな心配り。その全てが一貫の鮨に宿り、心に深い余韻を刻みます。来年にはロサンゼルス支店が開設され、菊鮨は日本を超えて、世界の舞台へと羽ばたいてゆきます。その歩みは感性の更なる広がりと、豊かな文化交流をもたらしていく事でしょう。

福岡県春日市春日公園3-51-3
菊鮨