LOADING

 天平堂
冬景色文瓶(ドーム兄弟)-y1

冬景色文瓶(ドーム兄弟)

700,000(税込)

冬の静寂に包まれた森林風景を、絵画的な構成力と卓越した技術で表現したアール・ヌーヴォー様式の逸品です。スカラップ状の口縁と緩やかな胴の起伏が、柔らかなフォルムを生み、全体に穏やかな気配を漂わせます。琥珀色の地肌が光を受けて、ほのかに輝く時、雪景の白と木々の黒が幻想的に浮かび上がり、心に深い余韻を残します。季節の移ろいを繊細に捉えた意匠は、ドーム作品の中でも特に高い評価を受けています。

商品コード
250602-8
作者
ドーム兄弟
19世紀後半-20世紀前半
重量
542g
横幅
6.5cm
高さ
13.2cm
備考
型吹き成形、マーブルガラス、エナメル彩、エッチング
次第
専用ケース
状態
完品

良好な状態を保っています。

Photo Gallery

  • 冬景色文瓶(ドーム兄弟)-1
  • 冬景色文瓶(ドーム兄弟)-2
  • 冬景色文瓶(ドーム兄弟)-3
  • 冬景色文瓶(ドーム兄弟)-4
  • 冬景色文瓶(ドーム兄弟)-5
  • 冬景色文瓶(ドーム兄弟)-6
  • 冬景色文瓶(ドーム兄弟)-7
  • 冬景色文瓶(ドーム兄弟)-8
  • 冬景色文瓶(ドーム兄弟)-9
冬景色文瓶(ドーム兄弟)-1
冬景色文瓶(ドーム兄弟)-2
冬景色文瓶(ドーム兄弟)-3
冬景色文瓶(ドーム兄弟)-4
冬景色文瓶(ドーム兄弟)-5
冬景色文瓶(ドーム兄弟)-6
冬景色文瓶(ドーム兄弟)-7
冬景色文瓶(ドーム兄弟)-8
冬景色文瓶(ドーム兄弟)-9

ドーム兄弟

長男・オーギュスト(1853-1909)と三男・アントナン(1864-1930)は、
「ドーム兄弟」の名で知られるフランスのガラス工芸家であり、
アール・ヌーヴォーを代表する存在として国際的な評価を確立しました。
彼らの父であるジャン・ドーム(1825–1885)はロレーヌ地方ビッチュの出身でしたが、
普仏戦争後の領土変更により故郷がドイツ領となった為、家族と共にナンシーへ移住しました。
移住先で投資していたガラス工場が経営難に陥ったことを受け、
1878年に会社を買収した事が、ドーム家によるガラス工芸の歩みの始まりとなります。
当初は業績が振るわず、工場ではビストロ用のグラスや蝋燭皿、時計用ガラス等、日用品の製造に留まっていました。
しかし、1879年にオーギュストが参画し、更に1887年にはパリ中央技術学校を卒業したアントナンが帰郷します。
兄を説得し、高級工芸ガラスへの転身を決意させた事で、芸術的飛躍への道が開かれました。
1891年に「アトリエ・ダール(芸術工房)」を新設し、
オーギュストが経営を担い、アントナンがアート・ディレクションを指揮する共同体制が確立されます。
1893年には美術家のジャック・グリュベール(1870–1936)を招聘し、
シカゴ万国博覧会で国際舞台へのデビューを果たしました。
1894年のロレーヌ装飾美術展、1897年のブリュッセル万国博覧会では金メダルを受賞し、
後者では約300点の作品がほぼ完売するという快挙を成し遂げました。
この成功の背景には、兄弟による明確な役割分担と、円滑な協働体制がありました。
1897年には美術家のアンリ・ベルジェ(1870–1937)がデザイン主任に就任し、アート部門が本格始動します。
ベルジェはナンシーの植物園や園芸家の農場に通い詰め、自然のモチーフを水彩画に描いて、絵付けの手本とし、
彼の手によって、ドームのアール・ヌーヴォー様式は明朗な自然賛歌として結実しました。
象徴主義的なエミール・ガレの作風とは対照的に、ドームの作品は光と生命に満ちた自然の美を讃えるものでした。
1900年のパリ万国博覧会ではガレと並んで、グランプリを受賞し、
ナンシーを代表する国際ブランドとしての地位を確立しました。
以降も、グラスゴー(1902)、セントルイス(1904)、リエージュ(1905)、ミラノ(1906)等、
各地の万国博覧会で栄誉を重ね、ナンシー派の中心的存在として活躍を続けました。
第一次世界大戦中には一時的に窯の火を落としましたが、1915年には操業を再開しました。
戦後の1920年代には社会の価値観が変化し、装飾性を抑えたアール・デコ様式が台頭する中でも、
ドーム社は柔軟な世代交代を重ねながらガラス界を牽引し続けました。
1982年にドーム家は経営から退きましたが、
現在もナンシーの工場では操業が続けられており、その精神と技術は今も受け継がれています。