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 天平堂
Incense Burner(Hakuko Ono)-y1

釉裏金銀彩香炉(小野珀子)

御売却済

金箔とプラチナ箔を併用した最晩年の釉裏金銀彩です。洗練された造形に華麗精妙の幻想的な景色が創出されています。小野珀子氏は金の煌きを真正面でなく、ほのかに輝いてくる釉下に求め、釉裏金彩の第一人者として名を馳せました。釉裏金彩には大変な労力と時間が費やされ、大量生産できない事から取り組む芸術家は少なく、何よりも高度な技術力が要求されます。

商品コード
240301-2
作者
小野珀子
1925(大正14)年~1996(平成8)年
佐賀県重要無形文化財
重量
379g
9.2cm
口径
6.4cm
高さ
11.1cm
次第
共箱
共布
状態
完品(無傷)

良好な状態を保っています。

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釉裏金彩は1961(昭和36)年の日本伝統工芸展で九谷焼作家・竹田有恒氏が初めて発表し、
陶胎素地に金箔を焼き付けて施釉したものです。
加藤土師萌氏はこの技法に感嘆して試み、
1962(昭和37)年に「釉裏金彩」の名称で日本伝統工芸展に出陳しました。
小野珀子氏は1964(昭和39)年に加藤土師萌氏の釉裏金彩に魅せられ、
金という物質的な美の可能性を更に発展させました。

釉裏金銀彩香炉(小野珀子)-1

天草陶石と唐津土を約3:1の割合で混合した胎土を成形し、
乾燥、素焼き、本焼きを行います。

釉裏金銀彩香炉(小野珀子)-2

地塗りの釉薬を掛けて低火度焼成した上に中国産の本黒漆を全体に塗り、
約3週間で金箔の貼り頃となる最良の状態を迎えます。
漆は天候に敏感の為、
湿度の高い夏場には約1週間で乾いてしまいます。
気候の良い時期は金箔を貼る事のできる時間が約8~12時間位あるのですが、
高温多湿の時期になると約4~5時間で貼れなくなってしまう為、
金箔貼りは時間との戦いです。

釉裏金銀彩香炉(小野珀子)-3

この乾き具合を見極め竹製のピンセットを使い、
厚めの金箔(京都の堀金に特注した金箔)を貼っていきます。
漆が若い内に無理して金箔を貼れば、
漆が沸いてぶつぶつと金箔が荒れてしまいます。
釉裏金彩は鑑賞陶器という性質から華麗で格調高くなくてはなりません。

釉裏金銀彩香炉(小野珀子)-4

表面に金箔を低火度で焼き付け、
透明度の高い釉薬(ソーダ釉)を薄く塗布して低火度焼成し、
更に釉薬を塗り重ねて低火度焼成を行います。
素焼きから数えて約6回の焼成を繰り返す事により金箔が落ち着いた風合いとなります。

釉裏金銀彩香炉(小野珀子)-5

釉裏金彩は金が剥がれるのを防ぐという耐久性だけでなく、
ガラス質の被膜を通す事により金属的な強い輝きが抑えられ、
幽玄で品位ある煌めきを放ちます。

釉裏金銀彩香炉(小野珀子)-6

当初は金箔が剥がれる等の失敗を数多く重ねましたが、
次第に安定した技術を身に付け、
国内外の美術館にも作品を納めています。

釉裏金銀彩香炉(小野珀子)-7


小野珀子 1925(大正14)年~1996(平成8)年

小野珀子は小野琥山の長女として愛知県名古屋市に生まれました。
1931(昭和6)年に父は勤務していた名古屋製陶所を辞職し、
福島県大沼郡会津美里町瀬戸町に「琥山製陶所」を設立して一家は移住しました。
不況な時代であった事も重なって父の経営は困難を極めますが、
1939(昭和14)年に佐賀県嬉野市嬉野町下宿に小規模ながら琥山製陶所を移設しました。
珀子だけは福島県に残って女学校卒業まで叔父の許に預けられました。
1943(昭和18)年、会津若松高等女学校を卒業後、嬉野に戻って家業に従事しました。
その頃の琥山製陶所は有田の問屋が盛んに買い付けるようになって活気を帯びていました。
1948(昭和23)年に東京の大串家に嫁ぎましたが、
1960(昭和35)年に協議離婚して嬉野に戻り、父の琥山製陶所デザイン室に勤務しました。
1964(昭和39)年に加藤土師萌の釉裏金彩の技法に魅せられて独学で技法研究を行いますが、
数年間は数多くの失敗を重ねました。
1969(昭和44)年、釉裏金彩を発表しました。
1970(昭和45)年、九州山口陶磁展で第一席を受賞しました。
日本工芸会西部工芸展で金賞を受賞しました。
佐賀県展工芸部門で第一席を受賞しました。
九州毎日陶芸展で準大賞を受賞しました。
佐賀美術協会展で知事賞を受賞しました。
1971(昭和46)年に日本工芸会西部工芸展で朝日金賞を受賞し、
釉裏金彩花壷「煌」が東京国立近代美術館に収蔵されました。
佐賀県展で日本経済新聞社賞を受賞しました。
1972(昭和47)年、長崎放送局長賞を受賞しました。
日本工芸会西部工芸展で玉屋賞を受賞しました。
1973(昭和48)年、日本陶芸展で優秀作品賞を受賞しました。
毎日新聞社賞を受賞しました。
日本工芸会正会員となりました。
1974(昭和49)年、茶碗が迎賓館内日本館に収蔵されました。
1981(昭和56)年、日本陶磁協会賞、文化奨励賞を受賞しました。
作品がニュージーランド・シドニー美術館に収蔵されました。
1985(昭和60)年、「山竝」、「黄釉花入」が呉市立美術館に収蔵されました。
「茜の海」が敦井美術館に収蔵されました。
1986(昭和61)年、作品が外務省に収蔵されました。
1988(昭和63)年、作品がアルゼンチン美術館、外務省に収蔵されました。
1992(平成4)年、佐賀県重要無形文化財に認定されました。
日本を代表する女流作家で金箔を大胆かつ繊細に使った金襴手や釉裏金彩を得意とし、
その華麗な手法と現代的感覚を複合させた豪華絢爛で幽玄な世界観を展開しました。
釉裏金彩は図案構成された金箔が黄釉や青釉の下から艶やかで幻想的な光彩を放ちますが、
大変な労力と時間が費やされ、
大量生産できない事から取り組む芸術家は少なく、
何よりも高度な技術力が要求されます。