楼閣に孔雀文を主題とした万暦染付の名品です。精選された純白の素地に艶麗な濃藍色が際立ち、絵付け、焼き上がり、状態、全てにおいて非の打ち所がありません。その堂々たる優美な佇まいは孤高の空気感を纏っています。荘厳な唐物は高級美術品として、古来より多くの人々を魅了してきました。
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- 商品コード
- 231117-3
- 時代
- 明時代後期
万暦年間
1573~1620年
- 重量
- 1,780g
- 口径
- 36.1cm
- 高さ
- 8.7cm
- 底径
- 20.2cm
- 次第
- 桐箱
アクリル皿立て
- 来歴
- 壺中居
- 状態
- 完品
美しい地肌、理想的な染付、秀抜な焼き上がりと一級品の条件を満たしています。
善政が敷かれて国が安定していた万暦前期に焼成された青花磁器です。
嘉靖年間(1522~66)から万暦前期(16世紀)にかけての青花は、
官窯と少数の高級民窯において西域から輸入された回青が用いられました。
現品の制作年代は嘉靖年間にまで遡る可能性もあります。
万暦前期までは上質な作品が中心を成しますが、
明の国力が衰退した万暦後期には作風が乱れ、
青花の質も落ちていきます。
孔雀は中国では瑞鳥として牡丹と共に配されてきました。
華やかな孔雀の容姿は富の象徴、
牡丹はどの花よりも優雅で豪華である事から「百花の王」と呼ばれます。
濃い輪郭線の中に呉須の濃淡を駆使して塗り潰す事で高雅な趣が醸し出され、
熟練した一握りの絵師にしか表現できない極めて高度な技術が集約されています。
周囲には蓮池に九羽の鷺が配されています。
中国において白鷺は白羽の美しさや優雅な姿が好まれ、
蓮と同じように泥中に染まらない高潔な人格の喩えとして好まれた文様です。
蓮池に鷺の文様は、「蓮=連」、「鷺=路」のように発音が通じることから、
「一路連科(続けて科挙に合格する立身出世)」を寓意し、
宋時代以降、絵画や工芸品によく表現されました。
立ち上がりは深く、重厚感があります。
素地と釉薬の収縮率の相違から釉薬が剥落して胎土を露した「虫喰」もなく、
その品質の高さが隅々から垣間見えます。
「天禄」は天から授かる幸福、
「富貴佳器」は富貴に満ちた素晴らしい器という意味があり、
慶賀吉祥を願う想いが込められています。
壺中居さんのお取り扱いとなる由緒ある来歴です。
万暦年間(1573~1620)の景徳鎮窯
製品には青花(万暦染付)と五彩(万暦赤絵)が最も多く、
白磁紅彩や白磁緑彩といった単色釉上彩、雑彩、素三彩等も知られています。
器種においては嘉靖年間(1522~66)に既に認められていた多様化と大形化が更に進展しました。
一般的な飲食器や官窯特有の祭器以外に地面に直接設置する大形花瓶や屏風、
鑑賞魚用の龍罐や坐墩といった調度類、
筆管、筆架、硯、硯屏、筆箱、印肉池といった文房具類、
従来の陶磁器にはなかった器種が急増しました。
方形や多角形といった円形以外の器、大合子の内側に見られる捻花形の仕切り等、
複雑な成形による器形も目立つようになります。
大形器物や複雑器形は焼造が難しく、技術水準の高さを示していますが、
陶工達の大きな負担になっていた事が伝えられています。
万暦帝の治世は約45年間と長く、
前半は嘉靖年間や隆慶年間(1567~72)に続いた安定期で善政が敷かれた為、
御器の焼成も少なく、良質の青花や五彩が生み出されました。
中でも青花が最も多く焼成されており、次第に五彩の割合が増加していきます。
この頃は青花も嘉靖年間に使用されてきた回青(回教圏から輸入された青料)が用いられ、
鮮やかな発色を見せましたが、
中期以降はその輸入が途絶え、浙青(浙江省産の青料)等の国産青料を使用しました。
その為、中期以降はやや灰色を呈した藍色となります。
嘉靖年間に始まったとされる官塔民焼制(一度に生産量が満たない場合に民窯への委託生産)は、
万暦年間に常設化し、
後半は国内外の兵乱による軍費増大、国庫不足、政治腐敗から社会経済が荒廃し、
明王朝の衰退が始まりました。
資源不足に加え、財政の逼迫による大量生産が強いられ、品質は低下します。
御器も形姿の歪んだ物、悪戯に騒がしいばかりの詰め過ぎた文様構成が目立ち、
胎釉の密着が足りずに釉面が剥離した虫喰が生じるようになりますが、
彩画粗放な作行がもたらす味わいが返って日本の茶人の美意識を刺激しました。
民窯と官窯を比較すると、
民窯の古赤絵や金襴手が原則として釉上に色絵を加える上絵に対し、
官窯はその殆どが下地に青花が用いられています。