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 天平堂

中国古美術(漢・唐・宋時代)

Chinese Antique(Han・Tang・Song Dynasty)

中国古美術(漢・唐・宋)

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漢緑釉

中国・漢時代の焼物としてよく知られているのは灰陶や低火度鉛釉を基礎釉とした緑釉陶器です。
色目の煌びやかな低火度釉陶器はオリエントで早くから栄えており、
中国でその釉法が広く用いられるようになるのは漢時代に入ってからです。
この褐釉や緑釉を施した陶器は死者への祈りを込めて墳墓に副葬する為に造られた明器であり、
青銅器に代わって重宝されました。
緑釉陶器の隆盛は後漢時代の1~2世紀頃で河南省や陝西省を中心に流行しました。
中核を成す工房は長安と洛陽の二都を中心に配置されていましたが、
これは明器を所望する貴族階級の人々が都近郊に集中していた為と考えられており、
出土例がこの地域に集まってくるのは必然です。
前漢時代に隆盛した褐釉は緑釉全盛の陰に没していき、
生産量は圧倒的に緑釉が多いです。
土は鉄分を多く含んだ細密なもので彩陶や灰陶とほぼ同質です。
貴重な青銅器に代用される副葬品として造られた為に殆どがその器形を写しており、
特殊な器形を除いて成形はほぼ轆轤で成されます。
釉薬の主体は珪石等のガラス質でこれに酸化銅の呈色剤を加えると緑色が得られ、
胎土に釉薬を熔着させる媒熔剤としての鉛を加えて初めて完成に至ります。
鉛を含んでいる為、緑釉の表面には銀虹色の膜を生じた物も多く見られます。
これは長年の土中間で鉛が析出して徐々に変化する現象で風化した釉面が薄膜状に剥離し、
外光を干渉して雲母のような虹彩色を発します。
神秘的な美しさを添加し、「銀化」や「ラスター」と呼ばれて喜ばれています。
釉薬は厚くたっぷりと掛けられていますが、壷瓶類の内側にまでは掛けられていません。
内側に釉薬が掛かっていないと水分が滲み出てしまう欠点となりますが、
実用品ではない明器故に外側の目に付く部分だけに掛かっていれば問題ありませんでした。
緑釉も褐釉も殆どが単独で用いられますが、稀にこの二釉を一器に併用する事があります。
褐釉を一面に掛けた後、部分的に緑釉を加えたり、緑釉で彩文したりしています。
逆に緑釉地に褐釉を加えるといったケースは知られていません。
この二釉の併用は緑釉が安定せずにかせて剥落し、美しい二彩になった例は少ないです。
少量しか造られなかったのにはそのような制作上の理由もあると考えられています。
銅は1,000℃以上の高温で焼成すると気体となって揮発してしまう為、
700~800℃前後の低火度焼成が行われました。
焼成方法には壷の口と口とを合わせて焼いた対口焼が知られています。
このような焼成方法を執っている事から壷の口縁は釉薬が剥離しており、
上に重ねて焼いた壷は釉薬が裾から口の方向へ流れて口縁に釉溜りが突起しています。
灰陶にはこういった焼成方法の癖はありません。

漢緑釉-1
漢緑釉-2

唐三彩

唐三彩とは盛唐時代に長安(唐の都)や洛陽(唐の副都)近傍の窯で焼成された三彩陶器です。
朝鮮や日本(奈良・大安寺跡、九州・沖ノ島等から三彩陶片が出土)にも齎されていますが、
原則として明器(副葬品)であり、日常に使用される事はありませんでした。
先人を敬って死者を手厚く葬る風習は墳墓を華やかに装飾しました。
長安(現在の西安)が帝都であった盛唐時代は、
当時の世界一、二位を占める程の大都会で貴族階級の本拠地でした。
唐三彩の出土例の殆どは長安や洛陽近傍の唐時代の墳墓に限られており、
都や周辺に居住していた王侯貴族や高級官僚の需要に応じました。
白化粧を行った白胎を用いる事で彩釉が映え、
基本的には轆轤成形ですが、異形には土型が用いられています。
釉薬は乾燥させた器表に生掛けされます。
施釉は白胎に透明釉を施し、白い基礎地を成立させる事から始まり、
美しい鉛釉を施して低火度焼成します。
基本的には三色(白、緑、褐)ですが、藍色が加わった「藍彩」、
二色だけの物も「唐三彩」と総括されています。
低火度鉛釉は漢時代の緑釉や褐釉の系譜を引いており、
色釉が流れたり滲んだりするのは基礎釉が焼成中に下地熔液となる為です。
各釉は別々に塗り分けられますが、
接触部分は互いに融合して華やかな彩色を表現します。
唐三彩は低火度鉛釉陶の関係上、
光を反射して「ラスター」と呼ばれる七色の美しい輝きを放ちます。
人物を模った製品の中でも婦人俑は人気があり、
樹下美人に代表される豊頬肥満の女子は造形的にも優れています。
一方、痩身の女子は何らかの職務を現している事が多いです。
男性を模った土偶は女性よりも種類が多く、
肥満体の貴公子風の俑も見られますが、
文官、武人、胡人(中国北方・西方の異民族)が一般的です。
動物を模った製品の中で最も美しい彫琢を見せるのは馬と駱駝です。
唐時代は西方の名馬が続々に輸入されたと伝えられますが、
土偶造形にもその美しい容姿が反映して、多くの優品が生み出されました。
国際都市故に長安は流砂を越えてきた多くの駱駝が見られ、
この大きく特異な体形は絶好の土偶対象になりました。
その他にも牛等が造られていますが、
馬や駱駝の様な単独像というよりも二輪乗用車に欠かせぬ動力だった為か、
多くは車を引く形で表現されています。
唐三彩は自国の「遼三彩」や日本の「奈良三彩」を始めとし、
「新羅三彩」、「渤海三彩」等と周辺諸国の窯業に大きな影響を与えました。


青白磁(影青)

青白磁とは白磁の一種で中国では「影青」と呼ばれています。
名称の由来は純白色の磁胎に掛かった青みある透明釉の清涼な趣を、
「月光を浴びて輝く青」と捉えられた事によります。
この青みは釉中に含まれる微量の鉄分が還元焼成されて呈色します。
江西省の景徳鎮窯や南豊窯を始めとし、
広東省、福建省、浙江省、安徽省、河南省においても焼成されました。

青白磁(影青)-1
青白磁(影青)-2

天目

天目とは抹茶喫茶に用いられる茶碗です。
中国淅江省の北部と安徽省との境に「天目山」という禅宗の中心地があり、
鎌倉時代に日本からも多数の留学僧がここにあった禅刹に訪れました。
彼らは寺で常用していた黒釉碗を日本に請来し、「天目」と呼んだ事が語源になっています。
低く小さな高台、漏斗状に開いた腰部、口縁は内側にやや窄まった後に外反する鼈口、
高台とその周辺は露胎といった条件を備えています。
曜変天目、油滴天目、禾目天目(兎毫盞)、玳玻天目(玳玻盞)、灰被天目等の種類があります。
建窯の天目茶碗には口縁に金や銀の覆輪を被せた例が多く見られますが、
これは口縁のざらついた素地の感触が不快な為に被せられたものです。
天正年間(1573~92)後半頃から次第に茶碗の主役は高麗茶碗等へと移り替わり、
天目茶碗の使用は儀式用に限定されて天目台を下部に添えて使用されました。
日本で国宝に指定されている茶碗は、
中国の曜変天目3碗(静嘉堂文庫蔵、藤田美術館蔵、大徳寺龍光院蔵)・
油滴天目1碗(大阪市立東洋陶磁美術館蔵)・
玳玻天目1碗(相国寺承天閣美術館蔵)、
朝鮮の大井戸茶碗「喜左衛門」1碗(大徳寺孤篷庵蔵)、
日本の絵志野茶碗「卯花墻」1碗(三井記念美術館蔵)・
本阿弥光悦茶碗「不二山」1碗(サンリツ服部美術館)の合計8点の内、
約半数が天目茶碗で占められているように茶碗の最高位を示していた様子が窺えます。


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