Year Celebration / Five Festivals
年祝い / 五節句
年祝い / 五節句
上巳の節句
五節句の二番目となる「上巳の節句」とは陰暦3月の最初の巳の日を指します。
古代中国ではこの日に水辺で身体を清め、災厄を祓うという風習があり、
禊と共に盃を水に流して宴を行う「曲水の宴」が催されました。
平安時代には日本にも伝播し、
形代(祓えの紙人形)に穢れを移して川に流しました。
この厄払いは今でも下鴨神社で行われる「流し雛」の行事に再現されています。
江戸時代に女子の「人形遊び」と「節句の儀式」が結び付いて全国に広まると、
鑑賞を楽しむ雛人形が飾られるようになります。
装飾としての形式、一生の災厄を人形に身代りさせるという祭礼的要素が強くなり、
身分の高い女性の嫁入り道具の一つに数えられるようになると、
女児の憧れの縮図として自然と豪華絢爛な発展を遂げました。
雛壇を設けるようになったのは江戸中期からとされています。
女児が健やかに可愛らしく育ち、病気や事故が無く、幸福な人生を過ごせますように、
との願いが込められた雛祭りの行事は現在にまで至っています。
「雛人形は雛祭りが終わったら、すぐに片付けないとならない」というしきたりが今でも存在し、
娘の災厄を受け止めた雛人形をいつまでも飾っていると、
婚期が遅れるという解釈がされています。
重陽の節句
古代中国では奇数を陽の数としていた為、
陽数の極である九が重なる重陽の九月九日は大変おめでたい日とされました。
この日、中国では「登高」という丘に登る行楽行事が行われ、邪気を祓いました。
長寿を願い、菊花を飾って酒盛りをして祝ったとされています。
日本には奈良時代に伝わり、宮中では「観菊の宴」が催されました。
杯に菊花を浮かべた菊酒を酌み交わし、長寿を祝って詩歌を詠みました。
五節句の中で最も公的な性質を備えた行事でした。