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TENPYODO

Sotetsu Nakamura

中村宗哲

中村宗哲

中村宗哲は千家の正統的な茶道具を制作する千家十職の一家(塗師)です。
千宗旦の次男・一翁宗守は吉文字屋・吉岡与三右衛門(福島正則の孫)の養子となり、
「吉岡甚右衛門」と名乗って塗師を営んでいましたが、
吉文字屋を初代中村宗哲に譲って千家に復しました。


初代 中村宗哲 1617(元和3)年~1695(元禄8)年

初代中村宗哲は通称を八左衛門・八兵衛、号を公弼・方寸庵・漆翁・勇山・杯斎・宗哲といいます。
利休形、道安好み、宗旦好みを始めとし、
表千家4代江岑宗左、裏千家4代仙叟宗室、武者小路千家4代一翁宗守の好み物を制作しました。
藤村庸軒や灰屋紹益とも親交深く、
代表作に庸軒好みの「凡鳥棗」、「望月棗」、「朱茶桶」、
江岑好みの「独楽香合」等が知られています。
茶の湯、書画、詩歌、俳諧にも造詣深いです。
茶杓の下削りにも優れ、自作茶杓もあります。


2代 中村宗哲 1671(寛文11)年~1706(宝永3)年

2代中村宗哲は初代中村宗哲の子として京都に生まれました。
通称を八兵衛、号を汲斎・元哲・宗哲といいます。
2代より豊田八郎兵衛の名で御所出入りとなりました。
代表作に「菊桐大棗・中棗」、「若狭盆」、「凡鳥棗」、「竹中次」、「雪吹」等が知られます。


3代 中村宗哲 1699(元禄12)年~1776(安永5)

3代中村宗哲は2代中村宗哲の子として京都に生まれました。
幼名を鍋千代、通称を八兵衛、号を勇斎・方寸庵・漆翁・漆桶・宗哲、俳号を紹朴、
俗称を彭祖宗哲といいます。
後桜町天皇即位式、中宮御入内の禁中御調度結納の大役を果たしました。
表千家7代如心斎宗左、裏千家8代一燈宗室達の「七次式」制定に参画しました。
代表作に「彭祖棗」、「乱菊棗」、「夜桜棗」、「金輪寺」、「十二器」、「詩中次」、「寒雲棗」、
台子、手桶等と多岐に手掛けています。
俳諧を好み、逝去した際には与謝蕪村が弔句を贈りました。
草間直方とも親交がありました。


4代 中村宗哲 1728(享保13)年~1791(寛政3)年

4代中村宗哲は3代中村宗哲の婿養子です。
名を為安、通称を八郎兵衛、号を深斎・宗哲、俗称を八郎兵衛宗哲といいます。
御所御用を務め、近衛・鷹司両家の知遇を受けました。
代表作に「菊桐棗」、「秋野棗」、「青貝香合」、「河太郎棗」等が知られています。
従六位下執火官に任じられました。


5代 中村宗哲 1766(明和3)年~1811(文化8)年

5代中村宗哲は4代中村宗哲の婿養子です。
名を守一、通称を八兵衛、号を豹斎・宗哲、俳号を漆畝といいます。
好み形図、寸法整理等の記録を後代に残しました。
特に棗に優れ、蒔絵を得意としました。
作銘は針彫を主とし、
天明の大火に遭う以前は4代中村宗哲の印を用いましたが、
大火後は字体と印を改めました。
茶の湯、書画、俳諧にも造詣深いです。


6代 中村宗哲 1794(寛政6)年~1839(天保10)年

6代中村宗哲は5代中村宗哲の長男として京都に生まれました。
名を為一、通称を八兵衛(後に八郎兵衛)、号を揲斎・宗哲といいます。
代表作に「凡鳥棗」、「夜桜棗」、「攘疫棗」等が知られており、
手桶、煙草盆等を造りました。
後に家督を弟に譲って分家しました。


7代 中村宗哲 1798(寛政10)年~1846(弘化3)年

7代中村宗哲は5代中村宗哲の次男として京都に生まれました。
6代中村宗哲の弟です。
名を安一、通称を八兵衛、号を得玄・貘斎・宗哲・黒牡丹、俗称を得玄宗哲といいます。
尾張徳川家より「得玄」の印を拝領しました。
光格天皇御物「夕顔台子」、「夕顔棗」を始めとし、
薄茶器「蔦棗」、手桶、香合、炉縁、菓子器等を造りました。
歴代の中で最も洗練された技量を発揮しました。


8代 中村宗哲 1828(文政11)年~1884(明治17)年

8代中村宗哲は7代中村宗哲の長男として生まれました。
名を忠一、通称を八郎兵衛、号を到斎・聴雨・蜂老・宗哲といいます。
家伝や記録を詳細に残し、多数の御所御用を賜りました。
表千家11代碌々斎宗左、裏千家11代玄々斎宗室、井伊直弼の好み物を造りました。
代表作に「既望棗」、「曙棗」、「花筏棗」、「筆柿香合」等が知られています。
詩歌、俳諧にも造詣深いです。


9代 中村宗哲 1856(安政3)年~1911(明治44)年

9代中村宗哲は8代中村宗哲の婿養子です。
名を義生・喜三郎、号を英斎・宗哲、俳号を一畝・雲水といいます。
初期の頃は8代の印を使用し、三字銘、金粉銘も知られています。
蒔絵棗、食籠、香合、懐石具等を造りました。
俳句を嗜んで12代樂吉左衛門(弘入)、13代樂吉左衛門(惺入)、
13代飛来一閑達と「やよひ会」を結成しました。


10代 中村宗哲 1862(文久2)年~1926(大正15)年

10代中村宗哲は8代中村宗哲の四女として生まれました。
9代中村宗哲の妻です。
名を真子、号を宗哲、俗称を尼宗哲といいます。
9代が逝去した後に長男・哲太郎が別居(廃業)した為、
表千家12代惺斎宗左の命で家業を継承しました。
9代の印を使用し、
大正の茶道隆盛期に千家の好み物を多く造りました。
書画、俳諧にも造詣深いです。


11代 中村宗哲 1899(明治32)年~1993(平成5)年

11代中村宗哲は9代中村宗哲の次男として生まれました。
名を忠蔵、通称を八郎兵衛、号を元斎・宗哲といいます。


12代 中村宗哲 1932(昭和7)年~2005(平成17)年

12代中村宗哲は11代中村宗哲の長女として京都に生まれました。
名を弘子、号を宗哲といいます。
1955(昭和30)年、京都市立美術大学を卒業しました。
1986(昭和61)年、12代中村宗哲を襲名しました。
1993(平成5)年、京都府文化功労賞を受賞しました。
2000(平成12)年、京都市文化功労者として顕彰を受けました。
女性として初めて正式に千家十職の当主として認められた人物です。


13代 中村宗哲 1965(昭和40)年生

13代中村宗哲は父・3代諏訪蘇山と母・12代中村宗哲の次女として生まれました。
名を公美といいます。
2006(平成18)年、13代中村宗哲を襲名しました。
4代諏訪蘇山は妹です。

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