Setsuko Migishi
三岸節子
三岸節子 1905(明治38)年~1999(平成11)年
三岸節子は愛知県に生まれました。
旧姓を吉田といいます。
織物工場を営む裕福な大地主の生家で、
母・菊は安政の大獄で死罪となった水戸藩士・鵜飼吉左衛門の一族です。
1921(大正10)年、上京して洋画家・岡田三郎助に師事しました。
1924(大正13)年に新進気鋭の洋画家・三岸好太郎と結婚しますが、
1934(昭和9)年に死別しました。
好太郎の天衣無縫さと絵の才能に惚れ込んだ節子は身も心も捧げますが、
彼の奔放な女性関係の為に結婚生活は格子の無い牢獄のようでした。
1925(大正14)年、「婦人洋画会」を設立しました。
生まれつき足が不自由な上に育児や家事に追われる毎日だった為、
40歳半ばまでの作品は殆どが室内画で枚数も数多くありません。
1947(昭和22)年、「女流画家協会」を設立しました。
1951(昭和26)年、第一回芸能選奨(現:芸術選奨)を受賞しました。
1954(昭和29)年に憧れのフランスに初めて渡りますが、
「日本人は日本人の絵を描かなければならない」と気付くきっかけになり、
1955(昭和30)年に帰国してからは日本の原始的で素朴な造形美に画題を求めました。
1957(昭和32)年から軽井沢の山荘で外との関係を断ち切って制作に没頭します。
孤独・沈黙の日々は苦しい試練の連続でもあり、
この頃に描かれた連作では異形の鳥が紅蓮の炎に身を焦がす様や、
冷たい青の静寂に沈みゆく様等の精神的な苦悶が色調に生々しく表れています。
1964(昭和39)年、神奈川県大磯町の丘陵地に自宅兼アトリエを建てて転居しました。
元来は静物の画家でしたが、
フランス滞在をきっかけに風景画への情熱が芽生え、
大磯で風景画家としての第一歩を踏み出します。
薄暗い時間から夜明けを見つめて陽が昇ると畑仕事をし、
それからアトリエに籠って絵を描くという生活を過ごす中で、
描くものも少しずつ変わり始めます。
風景、静物、花の中に太陽が描かれ、月が浮かぶようになりました。
以前見た異国の情景が忘れられず、
1968(昭和43)年に長男・黄太郎一家と共に二度目の渡仏を果たしました。
各地を巡って風景画の傑作を生み出し、
欧州での長い制作活動において独自の画風を築き上げました。
1986(昭和61)年、秋の叙勲で勲三等宝冠章を受章しました。
1988(昭和63)年、尾西市名誉市民の称号を受けました。
1989(平成元)年、帰国して神奈川県大磯町の自宅兼アトリエで制作を続けました。
1994(平成6)年、女性洋画家として初めて文化功労者の顕彰を受けました。
1998(平成10)年に市は第三者に渡っていた節子の生家跡を買い取り、
「尾西市三岸節子記念美術館」として開館し、
2005(平成17)年の市町村合併で「一宮市三岸節子記念美術館」となりました。
女性が画家として生きていくのが困難な時代、
当時の画壇における女性の地位向上に努め、
たくましい精神力で生命を賛歌する色彩を追求しました。
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