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 天平堂

中国古美術(明・清時代)

Chinese Antique(Ming・Qing Dynasty)

明時代
清時代

中国古美術(明・清時代)

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天龍寺青磁

天竜寺青磁とは元時代末期から明時代初期に龍泉窯で焼成された青磁です。
名称の由来は南北朝時代に天龍寺造営を名目とする貿易船「天龍寺船」によって、
この種の青磁が大量に舶載された事や、
夢窓疎石が天龍寺に伝えた浮牡丹手の香炉からという説があります。
龍泉窯における青磁も元時代には総体に大きくなり、
失透性の緑色を帯びた釉薬が厚く施されているのが特徴です。
砧青磁は無文様を基調としていましたが、
天龍寺青磁は加飾を求める一般の風潮を受け、
劃花や印花の施された物が大量生産されました。
鉄斑文を釉面上に飛ばした「飛青磁」も天竜寺青磁を特徴付ける加飾法です。


七官青磁

七官青磁とは明時代後期を中心に龍泉窯で焼成された青磁です。
名称の由来は七位の官位の役人(中国の役人)が日本に伝えたとする説が知られています。
ビードロのように光沢が強い透明感ある青い釉色を呈しており、
砧青磁や天竜寺青磁にはあまり貫入が入りませんが、
七官青磁には多くの貫入が入っている作品が目立ちます。
香炉、香合、花入、文房具等といった文人の愛玩品が器種の中心を成し、
中でも茶の湯に用いられる花入は声価が高いです。


万暦赤絵

万暦赤絵とは明時代後期の万暦年間(1573~1620)に景徳鎮官窯で焼成された五彩です。
嘉靖年間(1522~66)から万暦年間は五彩の全盛期であり、
華やかさを求めた作風は荘厳美麗を極めるかのように各々の色彩が共鳴し、
龍鳳、花鳥、魚藻、人物故事、八宝、吉祥、花籠文等が器面を覆い尽くしています。
嘉靖年間や隆慶年間(1567~72)で同様の特徴を持つ五彩も「万暦赤絵」と総括されてきました。
その濃艶な赤絵は高く評価され、
伊万里焼の上絵付けに大きな影響を及ぼした他、
茶の湯を嗜む政財界人も茶器や水指を好んで所有しました。
志賀直哉は小説『万暦赤絵』を書き、
梅原龍三郎は「万暦赤絵」の花瓶をモチーフとして繰り返し描いた事で知られます。

万暦赤絵-1
万暦赤絵-2

古染付

古染付とは明時代末期の天啓年間(1621~27)を中心に景徳鎮民窯で焼成された染付です。
特に日本向けの作品で遺例も日本に多いです。
新渡りと呼ばれる清時代の染付に対し、古式に属する古渡りの染付との意味合いで、
独特の様式を持つ一群が「古染付」と独立して呼ばれるようになりました。
日本の茶人からの注文品である茶陶と日用品とに大別されており、
茶陶としての古染付は日本人に親しまれた陶胎の厚さに因んでか総体に肉取りが厚いです。
明時代末期頃は日本の茶人が新奇な茶道具を注文焼成させる風潮が盛んであった時期で、
其々に好みの茶道具が発注されました。
古染付の多くは素地と釉薬の収縮率の相違から釉薬が剥落して胎土を露しています。
まるで虫が喰ったように見えるその様子からこの現象を「虫喰」と呼びます。
口縁や角部等の釉薬が薄く掛かった所に虫喰が多く見られるのも特徴の一つです。
通常の焼物としては欠点対象にさえ成り得るものですが、
茶人はここに自然の雅味を見出して喜び、粗笨な味わいを美的効果として評価しました。

古染付-1
古染付-2

天啓赤絵

天啓赤絵とは明時代末期の天啓年間(1621~27)を中心に景徳鎮民窯で焼成された色絵です。
下地の染付に合わせて赤、緑、黄、黒等の色彩を焼き加えており、
洒脱で味わい深い自由奔放な作調に特色があります。
この時代は万暦帝の崩去で景徳鎮官窯が閉鎖され、民窯が生産販売の主導権を握っていました。
官窯に従事していた陶工も生計を立てる為に民窯に移り、官窯を窺わせる名品を残しました。
その殆どが天啓赤絵、古染付、祥瑞に属しています。
天啓赤絵の多くは素地と釉薬の収縮率の相違から釉薬が剥落して胎土を露しています。
まるで虫が喰ったように見えるその様子からこの現象を「虫喰」と呼びます。
口縁や角部等の釉薬が薄く掛かった所に虫喰が多く見られるのも特徴の一つです。
通常の焼物としては欠点対象にさえ成り得るものですが、
茶人はここに自然の雅味を見出して喜び、粗笨な味わいを美的効果として評価しました。

天啓赤絵-1
天啓赤絵-2

南京赤絵

南京赤絵とは明時代末期から清時代初期に景徳鎮民窯で焼成された五彩磁器です。
狭義には天啓赤絵や色絵祥瑞とは区別される傾向にあります。
名称の由来は明王朝の都が南京にあった事から、
中国から渡来した色絵(五彩)磁器という漠然としたものです。
透明度のある純白釉を掛け、色絵のみで構成されているものが多く、
染付はあまり使用されません。
欧州向けは主に壺、盤、水注、花瓶、大徳利、蓋物等の大作が中心を成し、
日本向けは食器や茶道具から構成されています。


呉須赤絵

呉須赤絵とは明時代末期を中心に福建省南部の漳州窯で焼成された色絵磁器です。
その様式は景徳鎮民窯の古赤絵や金襴手の系譜を引いており、
そこから展開されたものと捉えられています。
基本的に染付は下地に用いられず、乳白色の失透釉が内外に厚く施されています。
上絵付けは赤色を基調に緑や青色が加えられ、
自由放胆で荒々しいまでの伸び伸びとした描写には一種の風格さえ感じられます。
稀に赤玉文様に金箔を上絵付けしている事があります。
焼き上がりは全体的にボテボテとした甘い作品が多く目立ちます。
砂を敷いて器物を焼成していた為、底部に砂が付着しているのも特色の一つです。
文様が表現された構図には日本語の「天下一」の文字銘やアラビア文字を描いた例もあり、
東南アジアから日本を主商圏としていた背景が窺えます。
中でも呉須赤絵を好んで珍重したのは日本であり、
日本の茶人は玉取獅子鉢や魁手鉢を特に高く評価しています。

呉須赤絵-1
呉須赤絵-2

呉須手

呉須手とは明時代末期を中心に福建省南部の漳州窯で焼成された粗製磁器です。
呉須赤絵、呉須染付、餅花手等の作品が知られており、
東南アジアから日本を主商圏としていました。
輸出港である広東省の汕頭港に因んで欧米では「スワトウ・ウェア」と呼ばれています。
名称の由来は書画の達人とされる宋時代の文人・趙子昴の名を逆さまにして、
絵の下手なものを「昴子」と呼び、これが「呉須」に変化したとも考えられていますが、
江戸時代には中国南方を漠然と「呉」と呼んでいた事から中国南方の焼物という意味で、
「呉須手」と呼ぶようになったという説が最も有力視されています。
「呉須」の文字が最も一般的に用いられていますが、
元来は「呉州」、「呉洲」の当て字で主に明治~大正時代に使用されるようになりました。


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