佐賀県有田町は言わずと知れた日本磁器の発祥地。福岡市から車で約1時間半。年に数回は勉強と楽しみの為に訪れるようにしています。「400年かけて一つの山を焼物に変えた」泉山磁石場。17世紀初期に朝鮮陶工の李参平がこの地で陶石を発見した事に始まります。江戸時代に良質の泉山陶石は皿山代官所によって厳しく管理・統制され、最も上質な物は鍋島藩窯が使用し、内山や外山で使用する場合は等級区別がありました。隣接する石場神社には李参平が祀られています。
天狗谷窯は有田が磁器生産を本格化していく最初期の古窯の一つです。焼成室が連なる階段状連房式登窯の遺構。物原(登窯で焼成した失敗品の廃棄場所)の表面には初期伊万里の陶片が見られます。
天狗谷窯の下には泉山陶石を粉砕する為の唐臼が再現されています。川べりで流水を利用して使用されましたが、明治時代に入ると動力機械に代わっていきます。
李参平の墓碑にお墓参り。磁器発祥の窯である可能性が最も高い古窯の一つ「天神森窯」。当時の最高水準の作品が焼成されました。
日本の色絵磁器成立において中核的な役割を担った「山辺田窯」。1992(平成4)年には山辺田窯遺跡で古九谷の色絵磁器や素地が多量に出土しました。現在では古九谷大皿の多くが、この窯において焼成された事が判明しています。
陶山神社から約10分程上ると李参平の記念碑があります。ここからは窯場や町家が軒を並べる有田の町を一望できます。景徳鎮磁器の代用から生まれ、数十年で欧州の王侯貴族を魅了するまでに発展を遂げた肥前磁器。その美しさ、魅力、楽しさを後世に少しでも伝えていければと思います。