太宰府天満宮とは福岡県太宰府市にある菅原道真公(菅公)の御神霊を御奉祀する神社です。
「学問、至誠、厄除けの神様」として篤く信仰されています。
九州最大級の規模を誇る太宰府天満宮は、
天神様をお祀りする全国12,000社の天満宮の総本宮としても知られ、
年間に日本全国より約1,000万人の参拝者があり、
観光名所としても唯一無二の絶大な人気を博しています。
来年に高校受験を控えた娘の学業成就を祈願に、太宰府天満宮様へ。
神聖で自然な心地良い空気間。
それでいて気が引き締まるような厳かな気持ちになります。
本殿へ向かう石造りの大鳥居を抜けると「心字池」という池があります。
漢字の「心」の字に形造られている事からの名称です。
心字池に架かる御神橋は「太鼓橋」、「平橋」、「太鼓橋」の三橋から成り、
それぞれ「過去」、「現在」、「未来」を現しています。
この橋を渡り、水の上を歩く事で心身共に清められ、御神前へ向かう準備が整います。
訪れたのは雨薫る時期。
手水舎が紫陽花の花手水に。
色とりどりの美しいサプライズ。
平安時代に当代一流の学者であり、政治家であった菅公。
その豊かな学才により有力氏族の家柄出身でなかったにも関わらず、
右大臣の地位にまで昇り詰めました。
しかし、その異例の大出世を妬まれ、
時の左大臣・藤原時平の讒言(身に覚えのない罪)により左遷されたのが大宰府の地でした。
菅公は大宰府へ移った2年後の903(延喜3)年、
大宰府政庁の南館(現在の榎社)で薨去されます。
その御遺骸を厚葬する為に牛車で運んでいたところ、
安楽寺の門前で間もなく牛が伏して動かなくなった為、
これは菅公の御心による神慮の暗示だと考え、その地に埋葬される事となりました。
無二の忠臣として菅公に仕えた味酒安行が、
905(延喜5)年に御墓所の上に祀廟を創建した事が安楽寺(現:太宰府天満宮)の原点です。
菅公の薨去後、藤原時平、右大臣・源光、皇太子が次々と亡くなり、
都では疫病や落雷等の凶事が相次ぎ、「菅公の祟り」によるものと恐れられました。
これを鎮める為、左大臣・藤原仲平は勅命で、919(延喜19)年に御社殿を建立します。
醍醐天皇は菅公の生前の忠誠を追懐され、
923(延長元)年に菅公の官位を生前の右大臣の官職に復されました。
一条天皇は993(正暦4)年に正一位左大臣、更に太政大臣を贈られ、
天満大自在天神(天神様)と崇められました。
その後、度重なる勅使の下向があり、朝廷の特別な崇敬を受ける「二十二社」に準ぜられます。
1871(明治4)年、国幣小社に列格すると共に「太宰府神社」と改称しました。
これは北野天満宮が近代社格制度の下で「北野神社」に変更した事と同様に、
「宮」号が基本的に皇族を祭神とする神社でしか使用できなくなった為です。
1882(明治15)年に官幣小社、1895(明治28)年には官幣中社に昇格し、
神社の国家管理を脱した戦後の1947(昭和22)年には「太宰府天満宮」と改称しました。
史跡や大宰府政庁に関連する時は「大宰府」、
太宰府市や太宰府天満宮等の固有名詞を示す時には「太宰府」が用いられています。
拝殿の手前には由縁の御神木「飛梅」
901(昌泰4)年に菅公が平安京を離れる際に紅梅殿の梅に別れを惜しまれ、
「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と詠まれたところ、
菅公を慕って都から一夜にして飛来したとされる由縁の御神木「飛梅」です。
※春風が吹いたら、香りをその風に託して大宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。
主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。
参拝を終え、ご祈祷頂いた後に夏限定の「水みくじ」を。
水に付けると運勢が浮き出てきます。
同地は「文化の神様」としても古くから崇められています。
第40代宮司を務める西高辻信宏さんは「至誠」という言葉が相応しい温厚なお人柄で、
高い志を持ち、固定観念にとらわれないアートプログラムを展開されています。
その豊かな学識は古美術からコンテンポラリーまでと幅広く、
「アート鑑賞に、太宰府天満宮へ赴く」というように、
太宰府天満宮を「文化」が生まれる地にしたいと考えられています。
「天神さま」縁の文化財5万点が収蔵・展示される宝物殿。
1971(昭和46)年に博物館用地として太宰府天満宮より5万坪の境内地が福岡県に寄付され、
2005(平成17)年には「九州国立博物館」の開館が叶いました。
太宰府駅から太宰府天満宮に続く参道はお土産屋さんや飲食店が立ち並び、
いつも多くの人々で活気を呈しています。
太宰府銘菓として有名な「梅ヶ枝餅」を求めて多くの人が列を成します。
食事にも事欠く生活をされていた菅公に、
浄妙尼という老女が餅に梅の枝を添えて差し入れたという伝説が知られています。
出生の845(承和12)年6月25日と、命日である903(延喜3)年3月25日に因み、
毎月25日を「天神様の日」とし、
月に一度ヨモギ入りの緑の梅ヶ枝餅が販売されます。
太宰府天満宮様では梅ヶ枝餅を二つ重ねた「重ね餅」が伝統で、
「重ね重ねご縁がありますように」という特別な意味が込められています。
太宰府天満宮様御用達の菓子処として参道にある「梅園」さん。
宝満山のヒキガエルを題材としたお菓子「かえるばこ」が新しく発表されました。
神が降り立つ山として古くから信仰を集め、中世には修験の地となった宝満山。
毎年5月になると宝満山の麓の池で生まれた1cmにも満たないヒキガエルの子が、
約1ヶ月を掛けて、標高829メートルの山頂(人間に例えるとエベレスト5個分の高さ)を目指します。
宝満山以外でヒキガエルが山頂を目指す状況は確認されておらず、
この神秘的な行動は太宰府市の市民遺産に認定されています。
ヒキガエルの愛らしい姿を「ミニ梅守」と「令和の翠」に焼印で捺し、
霊峰宝満山を「よろつよ」で表現しています。
多くの試練や困難を乗り越えて、ひたすらに山頂を目指す姿は、
受験、就活、資格試験等の目標に向かって一生懸命に努力していく姿をイメージさせます。
そして、無事に目標を成し遂げかえるという思いを込めて、「かえるばこ」と命名されました。
古の時代、行政機関として九州を統括し、
西の都としての役割を果たした政庁・大宰府。
これからも天神様に見守られながら、
日本が世界に誇る文化の中心地として更に注目を受けていく事でしょう。
〒818-0117 福岡県太宰府市宰府4-7-1
太宰府天満宮
TEL 092-922-8225
https://www.dazaifutenmangu.or.jp/(外部リンク)