杉木普斎
Fusai Sugiki
杉木普斎 1628(寛永5)年~1708(宝永3)年
杉木普斎は伊勢外宮の御師という神職の家に生まれ、
代々「吉大夫」を名乗っていました。
名を光敬、字を周禅、号を宗寿・宗喜・有麦庵・得失庵・直入庵・普斎といいます。
家業の傍らに茶道を執心精進し、
1642(寛永19)年に千宗旦の門に入り、
宗旦四天王に数えられるようになります。
1658(万治元)年に宗旦が没した後は一翁宗守、江岑宗左に師事しました。
宗旦からは「宗喜」の茶名、
参禅の師・大徳寺198世乾英宗単からは「普斎」の号を授かりました。
普斎が弟子達に与えた多くの茶道伝書「普斎伝書」は、
茶道研究にとって大変貴重な資料として知られています。
自ら「勢州茶楽人」や「日本茶楽人」と称しながら、
各地の有力者との師壇関係を活用し、
利休正風を伝える事を使命とした「行脚の茶匠」とも云われています。