名越家 / 京都名越家 / 江戸名越家
Nagoshi Family
名越家
初代 名越七郎左衛門 生年不詳~1318(文保2)年
2代 名越弥七郎 生年不詳~1346(貞和2)年
3代 名越弥五郎 生年不詳~1391(明徳2)年
4代 名越弥七郎 生年不詳~1444(文安元)年
5代 名越弥阿弥 生年不詳~1470(文明2)年
6代 名越鋳阿弥 生年不詳~1526(大永6)年
7代 名越弥七郎 生年不詳~1535(天文4)年
8代 名越弥七郎 生年不詳~1593(文禄2)年
9代 名越弥五郎 生年不詳~1580(天正8)年
10代 名越浄祐 生年不詳~1602(慶長7)年
11代 名越善正 生年不詳~1619(元和5)年
11代名越善正は10代名越浄祐の子として生まれました。
通称を弥七郎といいます。
京都三条釜座に住し、名越家の基礎を築きました。
西村道仁と共に京釜の草創を成し、「天下一」を称しました。
奈良・東大寺の梵鐘を鋳造しました。
京都名越家
11代名越善正の子が京都(名越三昌)と江戸(名越家昌)に分家し、
京都名越家を継いだ長男・名越三昌は「浄味」と号し、
それ以降、京都名越家の当主が代々受け継ぐ名前となりました。
京都名越家初代 名越三昌 生年不詳~1638(寛永15)年
京都名越家初代名越三昌は11代名越善昌の長男として生まれました。
通称を弥右衛門、号を浄味といいます。
代々「浄味」を号した為、特に「古浄味」と称されます。
四方筒釜、常張釜、尾張釜、阿弥陀堂釜等が知られています。
1614(慶長19)年に京都・方広寺大仏殿大鐘の鋳造に弟の名越家昌と共に参加し、
その功績により「越前少掾」に任じられました。
名工としての誉れ高く、本阿弥光悦や小堀遠州の好みの釜も造りました。
京都名越家2代 名越昌高 生年不詳~1639(寛永16)年
京都名越家3代 名越昌乗 生年不詳~1708(宝永5)年
京都名越家4代 名越三典 生年不詳~1722(享保7)年
京都名越家4代名越三典は名を昌晴、通称を弥右衛門、号を浄味といいます。
「三典浄味」や「足切浄味」と称されました。
表千家6代覚々斎宗左の好み釜を造り、
享保年間(1716~36)以後は門下の下間庄兵衛が代作を務めたとされます。
京都・寂光寺の梵鐘、遠州好みの「唐銅色紙風炉」等があります。
京都名越家5代 名越弥右衛門 生年不詳~1724(享保9)年
京都名越家6代 名越昌光 生年不詳~1759(宝暦9)年
京都名越家7代 名越昌永 生年不詳~1784(天明4)年
京都名越家8代 名越昌興
京都名越家9代 名越昌暉
京都名越家10代 名越昌次
京都名越家11代 名越昌文
京都名越家12代 名越台披
江戸名越家
11代名越善正の子が京都(名越三昌)と江戸(名越家昌)に分家し、
家昌は江戸幕府の御用鋳物師を務めました。
江戸名越家初代 名越家昌 生年不詳~1629(寛永6)年
江戸名越家初代名越家昌は11代名越善正の次男として生まれました。
通称を弥五郎、号を随越といいます。
日光の慈照院前にある銅灯籠一基が知られ、
釜の遺品は少ないです。
江戸名越家2代 名越政信 生年不詳~1685(貞享2)年
小堀遠州、片桐石州の釜師として優れた釜を残しました。