伊藤次郎左衛門

Jirozaemon Ito

伊藤次郎左衛門(祐民) 1878(明治11)年~1940(昭和15)年

 15代伊藤次郎左衛門(祐民)は伊藤家14代当主・伊藤祐昌の四男として、
愛知県名古屋市に生まれました。
幼名を守松、諱を祐民といいます。
江戸時代から続く「いとう呉服店」を1910(明治43)年に株式会社化し、
名古屋初の百貨店・株式会社いとう呉服店を設立しました。
1918(大正7)年に覚王山日泰寺に隣接する地に別荘・揚輝荘の建設を開始し、
1919(大正8)年に妻が急逝した後は、
1922(大正11)年頃に自宅として揚輝荘に定住しました。
1924(大正13)年、15代伊藤次郎左衛門を襲名しました。
1925(大正14)年、全店舗の商号を松阪屋に統一しました。
1939(昭和14)年、家督を譲って隠居し、「治助」と名乗りました。
隠居後は政治家、実業家、文化人等を始めとした各界の名士を揚輝荘で持て成し、
「揚輝山人」と名乗って俳句や和歌を楽しむと共に、
家伝文書の整理や家史編纂に力を注ぎました。
中京財閥の重鎮で松坂屋の創業者として著名です。

楊輝荘

 揚輝荘は約1万坪に及ぶ広大な敷地に周囲の自然を活かして造られ、
最盛期には建築的や歴史的価値の高い30数棟に及ぶ建物がありました。
揚輝荘は個人の別送に留まらず、
皇族、政治家、実業家、文化人等を始めとした各界の名士が来荘し、
園遊会、観月会、茶会等が数多く催される社交場として、
国内外の広範な交流の場となっていました。
空襲による被害や風雨による老朽化の他、
開発等の影響から敷地建物の大半が失われたものの、
現在も主要な部分が残されており、
2007(平成19)年に名古屋市に寄付されました。
2008(平成20)年には5棟の建造物(聴松閣、揚輝荘座敷、伴華楼、三賞亭、白雲橋)が、
名古屋市指定有形文化財に指定され、
地域の歴史的・文化的資源として市民共有の貴重な財産となっています。
「揚輝荘」の名前はこの地が月見の名所であったところから、
伊藤次郎左衛門(祐民)が漢詩の一部である、
「春水満四澤、夏雲多奇峰、秋付揚明輝、冬嶺秀孤松」から取ったものといわれています。

暮雪庵

 暮雪庵は1930(昭和5)年に伊藤家本家より揚輝荘南園西端に移築された数寄屋建築です。
1955(昭和30)年に揚輝荘北園西端に再移築され、
2003(平成15)年から2004(平成16)年に掛けて土岐市織部の里公園に移築されました。
建築年代は不明ですが、
明治初期以前に建築された事は間違いありません。
待合、水屋、茶室の三室から成っています。

風雅亭

 風雅亭は名古屋市茶屋町の伊藤次郎左衛門邸内にありましたが、
1945(昭和20)年の戦災により焼失しました。