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 天平堂
アルペンフローラ / コーヒーカップ&ソーサー(マイセン)-1

アルペンフローラ / コーヒーカップ&ソーサー(マイセン)

御売却済

アルプス山脈は高さや気候の違いにより様々な種類の植物が生息しています。マイセンのアーティストは印象に残った花々をスケッチし、「アルペンフローラ」として表現しました。優雅なティータイムを愉しむ事ができます。

商品コード
240823-4
ブランド
マイセン
重量
342g
コーヒーカップ
(横幅)9.9×(口径)7.0cm
(高さ)9.2cm
(品番)29572
ソーサー
(径)14.8cm
(品番)29562
状態
完品

使用感のない良好な状態を保っています。

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マイセン

マイセンは欧州で初めて硬質磁器の焼成に成功したドイツの名窯です。
17世紀の欧州において中国磁器や肥前磁器が王侯貴族を魅了し、
純白で薄い艶やかな硬質磁器は欧州では未だ焼成する事ができませんでした。
ドイツのザクセン選帝侯・アウグスト強王は東洋磁器の熱烈な蒐集家であり、
錬金術師のヨハン・フリードリッヒ・ベトガーを幽閉して磁器焼成を命じました。
ベトガーはエーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスの協力を得て、
エルツ山脈のアウエに白磁原料となるカオリンを含んだ鉱石を発見し、
1709年に硬質磁器の焼成に成功した事で西洋磁器の新たな歴史の幕が開きます。
1710年にドレスデンに「王立ザクセン磁器工場」が設立され、硬質磁器製造の独占権が与えられました。
数ヶ月後に磁器工場は約25km離れたマイセン地方のアルブレヒト城内に移され、厳重に機密が保持されました。
1717年に染付磁器の焼成に成功し、
1719年にアウグスト強王はドレスデンの日本宮殿用に肥前磁器写を特別注文しました。
1720年に絵付師であるヨハン・グレゴリウス・ヘロルトがウィーンより招かれ、
アウグスト強王が熱望した柿右衛門様式の色絵磁器写も手掛けました。
1722年からアウグスト強王の紋章である「双剣」を窯印に使用する事が許可されました。
1724年にヘロルトは宮廷御用達の絵付師に任命され、
欧州で流行していたシノワズリ(中国趣味)や西洋的風景を多彩に描きました。
1727年にドレスデンで活躍する彫刻家・キルヒナーが主任型師に任命されました。
1731年に彫刻家のヨハン・ヨアヒム・ケンドラーがマイセン窯に招かれました。
1733年に絶対的権勢を誇ったアウグスト強王が逝去しました。
アウグスト強王は重厚なバロック様式を好んだ大作彫像の注文が多かったのですが、
王亡き後は小物も手掛ける事ができるようになります。
フランスのワトー銅版画から生まれたロココ様式のワトー画と磁器人形等の制作が始まり、
この磁器人形は「マイセン人形」と呼ばれ、
その愛らしい表情や微笑ましい仕草が白磁の清らかさと相俟って爆発的な人気を生みます。
1730年代後半にケンドラーはブリュール伯爵の為の有名な「白鳥のセット」を始め、
型による優れた食器セットを制作しました。
1739年にクレッチマーが染付技法を活かして「ブルーオニオン」を完成させました。
1745年にプロイセン戦争で敗れて大量の磁器が略奪されました。
アウグスト強王が逝去した影響もあって一時的に衰退期を迎えます。
1764年に彫刻家のアシエがフランスより招かれて原型製作主任に任命され、
マイセン窯ではロココから新古典主義に移行します。
プロイセン戦争による被害から立ち直って復興に向かいます。
技術面でも芸術面でも高い水準を保ち続け、「マイセンはあらゆる美術史の様式を表現する」と高く評されます。
以後も様々な芸術家や職人達が各時代を絶えずリードします。
1865年に城麓の地であるトリービッシュタールに工場が移転して現在に至ります。
第二次世界大戦後の1946年にソ連は「マイセン」を有限会社の一部として管理しますが、
1950年にドイツ民主共和国に返還し、「国立マイセン磁器製作所」として発足しました。
1960年に未来に向かって創造性を生み出そうというテーマの下、
モーリッツブルク内で「芸術の発展をめざすグループ」が設立され、
1975年に国家功労賞を受賞し、新しい器形と優れたデザインの作品が次々と発表されました。