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 天平堂
ヒダスキ酒吞(金重素山)-1

ヒダスキ酒吞(金重素山)

50,000(税込)

備前の伝統を継ぎ、独自の美意識を貫いた名匠・金重素山による備前酒呑です。桃山時代を象徴する緋襷の再現に情熱を傾け、兄・金重陶陽が「自分の為に残してくれた唯一の仕事」と受け止めながら、果てしない試行錯誤を重ねました。その過程で古式の薪窯という既成概念を超え、あえて最新式の電気窯を選択します。この挑戦は質を損なう事なく、寧ろ冴え渡る緋襷の景を生み出す成果へと結実し、備前焼の世界に新たな地平を拓きました。

商品コード
251019-11
作者
金重素山
1909(明治42)年 - 1995(平成7)年
岡山県重要無形文化財
重量
118g
口径
8.3×7.9cm
高さ
4.3cm
底径
4.6cm
次第
共箱
状態
完品

使用感のない良好な状態を保っています。

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金重素山 1909(明治42)年-1995(平成7)年

金重素山は金重楳陽の三男として岡山県備前市伊部に生まれました。
本名を七郎左衛門といいます。
長兄・金重陶陽に師事し、その助手として備前焼の伝統を学びました。
1951(昭和26)年に京都府亀岡市の大本教本部に「花明山窯」を築窯し、
3代教主・出口直日の作陶指導や助手を務めました。
その傍ら月に2~3回程の頻度で花明山窯を訪れる石黒宗麿に釉薬の調合法を学び、研鑽に励みました。
1959(昭和34)年、京都府綾部市の大本教本部に「鶴山窯」を築窯し、
深遠なる宗教的精神と陶芸への飽くなき探究が、唯一無二の人間性と作風を育みました。
1964(昭和39)年、帰郷して岡山市中区円山に「円山窯」を築窯しました。
1966(昭和41)年、電気窯による桃山調の緋襷焼成を確立し、緋色の新境地を切り拓きました。
1974(昭和49)年、山陽新聞社文化賞を受賞しました。
1982(昭和57)年、備前市伊部に「牛神下窯」を築窯しました。
1983(昭和58)年、岡山県重要無形文化財に認定されました。
1990(平成2)年、文化庁長官賞を受賞しました。
1991(平成3)年、岡山県文化賞を受賞しました。
勲四等旭日小綬章を受章しました。
1994(平成6)年、三木記念賞を受賞しました。
1995(平成7)年、備前市功労賞を受賞しました。
作品には峻厳なる眼差しを礎に鍛え上げられた格調高き品性が宿り、
納得のいかぬものは決して世に問わぬという矜持を貫き、
器に込めた想いと精神は妥協なき対話の結晶と言えます。
備前焼に留まらず、信楽、志野、瀬戸、唐津、粉引等の多様な技法に果敢に挑み、
土と炎の本質を見極める審美眼を歳月と共に深めました。
「備前焼中興の祖」と仰がれる兄・金重陶陽に比肩しうる存在として、現代陶芸界に重厚な足跡を刻みました。