LOADING

 天平堂
高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-1

高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)

50,000(税込)

桃山の雅を今に映す「高台寺蒔絵」の意匠による平棗です。漆黒の地に朱と金の菊桐蒔絵が冴え、茶席に静謐な華やぎを添えます。碁笥底の左端には「近左 造」の銘が針描きで記され、作者の気韻を伝えます。鵬雲斎宗匠の書付を伴い、茶道具としての品格を高めた一作です。

商品コード
250909-1
作者
5代 川端近左
1915(大正4)年 - 1999(平成11)年
重量
64g
横幅
8.2cm
高さ
5.7cm
次第
共箱(裏千家15代 鵬雲斎宗室 書付)
状態
良好

使用感の少ない良好な状態を保っています。

Photo Gallery

  • 高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-1
  • 高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-2
  • 高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-3
  • 高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-4
  • 高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-5
  • 高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-6
  • 高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-7
  • 高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-8
  • 高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-9
高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-1
高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-2
高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-3
高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-4
高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-5
高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-6
高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-7
高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-8
高台寺蒔絵平棗(5代 川端近左 / 鵬雲斎宗室 書付)-9

5代 川端近左 1915(大正4)年 – 1999(平成11)年

5代川端近左は奈良県に生まれました。
1928(昭和3)年、4代川端近左に師事しました。
1941(昭和16)年、養子となりました。
1963(昭和38)年、5代川端近左を襲名しました。
塗師番付においては、千家十職の中村宗哲をも凌ぐ「東の横綱」と称され、
「東の近左、西の宗哲」と並び称された名匠として知られています。


高台寺蒔絵

京都市東山区に佇む臨済宗建仁寺派・高台寺は、
北政所(高台院湖月尼)が亡き夫・豊臣秀吉の菩提を弔う為、
徳川家康の援助を受けて、1606(慶長11)年に創建された寺院です。
霊屋内部を飾る豪奢な桃山蒔絵や、
秀吉夫妻の愛用品と伝わる高台寺所蔵の蒔絵調度類と同系統の意匠は、
総じて「高台寺蒔絵」と称されています。
高台寺蒔絵には、秋草や菊桐文が用いられており、
器物の表面を対角線や松皮菱形で区切り、
一方を梨地、他方を黒地とする片身替わりの大胆な構成も特徴的です。
桃山の華やぎと洗練が結晶した、格別の蒔絵様式と云えます。


裏千家15代 鵬雲斎宗室 1923(大正12)年 – 2025(令和7)年

裏千家15代鵬雲斎宗室は裏千家14代淡々斎宗室の長男として生まれました。
幼名を宗興、名を宗室・玄室、号を鵬雲斎・汎叟といいます。
1946(昭和21)年、同志社大学法学部経済学科を卒業後、ハワイ大学に修学しました。
1949(昭和24)年に大徳寺503世瑞巌宗碩より、安名「玄秀宗興居士」、斎号「鵬雲斎」を授与されました。
1964(昭和39)年、裏千家15代家元を襲名しました。
1973(昭和48)年に妙心寺管長・梶浦逸外より虚心の法名「垂示」を授与され、虚心庵住職に就任しました。
藍綬褒章を受章しました。
1980(昭和55)年、紫綬褒章を受章しました。
1983(昭和58)年、京都市文化功労者として表彰を受けました。
1989(平成元)年、外務大臣表彰、防衛庁長官表彰、文化功労者として表彰を受けました。
1991(平成3)年に「茶経と我が国茶道の歴史的意義」の論文により、
中国国務院学位委員会の審査試問を経て、
南開大学より外国人初の哲学博士号を授与されました。
1994(平成6)年、勲二等旭日重光章を受章しました。
1995(平成7)年、国際交流基金賞を受賞しました。
1997(平成9)年、茶道界で初の文化勲章を受章しました。
2002(平成14)年、長男・宗之に家督を譲り、大宗匠「千玄室」と改名しました。
「玄室」とは裏千家4代仙叟宗室の襲名前の名であり、
裏千家12代又玅斎宗室も家督を譲って隠居してからは「玄室」を名乗りました。
中華人民共和国文化交流貢献賞を受賞しました。
2005(平成17)年、外務省より日本・国連親善大使の称号を受けました。
国際ロータリー栄誉賞を受賞しました。
国内外の大学で教授・顧問を務め、ハワイ大学、マウントホリヨーク大学、シートンホール大学、
ブリティッシュ・コロンビア大学等から名誉学位を授与される等、学術交流の促進に尽力しました。
又、フランス芸術文化勲章コマンドール、レジオン・ドヌール勲章オフィシエ、ドイツ連邦共和国一等功労十字章、
フィンランド獅子勲章等、世界各国からも多数の勲章を受章しました。
京都市、小松市を始め、世界各地で名誉市民・名誉州民として迎えられ、
茶道を通じた国際親善の象徴的存在となりました。
「一碗からピースフルネス」という茶道を通じた平和理念を提唱し、
茶道文化の発展と世界平和の希求に向けた活動を展開しました。