欧州の王侯貴族の需要を担った最高級磁器の一つに数えられる、柿右衛門様式の名品です。ふくらみを帯びた胴部からすらりと立ち上がる頸部、そして流麗な注口と把手の造形には、実用性と装飾性が高度に調和しています。乳白色の磁肌に精緻で鮮やかな彩色が映え、正面には吉祥の鳳凰が舞い、背面には豊穣と子孫繁栄を象徴する柘榴文が端正に配されています。この種の立体物は焼成時の歩留まりがきわめて低く、現存作例も希少です。特に把手や注口に傷や直しを伴うものが多い中、本作は望むべくもないほど良好な状態を保っています。本来の共蓋は失われていますが、口縁部には釉薬が施されているため、蓋がなくとも自然で調和の取れた姿を示しています。類似品が戸栗美術館に確認できます。
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⇒ 戸栗美術館 所蔵品(外部サイト)
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- 時代
- 江戸時代
17世紀後半
- 重量
- 662g
- 横幅×奥行
- 18.5×14.5cm
- 高さ
- 16.0cm
- 底径
- 9.4cm
- 次第
- 桐箱(張込箱)
- 状態
- ・完品
・総じて良好な状態を保っています
- 窯傷
- ・高台に窯傷が1箇所あります(画像参照)

柿右衛門様式
柿右衛門様式とは延宝年間(1673-81)頃を中心に焼成された伊万里焼の様式です。
柿右衛門家のみで造られた独占的な作品郡ではなく、
V.O.C(オランダ東インド会社)からの大量注文を受けて、
肥前有田の窯々で輸出用に完成された作品群として「様式」の語が付され、
広義の柿右衛門として認識されています。
絵師の手による余白を活かした繊細な絵付け、精緻を極めた作行は優雅で気品高い美を湛え、
欧州の王侯貴族を魅了する高級磁器として、V.O.Cの積荷の中でも特に根強い人気を博しました。
中でも「濁手(にごしで)」と呼ばれる乳白色の柔和な素地は、色絵の鮮麗さを際立たせ、
後のマイセンやシャンティイにおける欧州磁器の焼成に大きな影響を与えました。
銘款には、渦を巻くように意匠化された「福」字が特徴的な「渦福」が多く見られ、
他にも「金」や「古人(いにしえびと)」等、上手の優品に用いられるものも存在します。
江戸時代に輸出された古伊万里も豪華絢爛な美を示しましたが、
特に人々の関心を集めたのは、やはり柿右衛門様式の作品でした。
戦後には、欧州に渡った作品群が次々と買い戻され、大量に里帰りを果たしましたが、
その輸出総数は国内の伝世品を大きく凌駕しており、
柿右衛門様式が輸出を目的として開発された事を物語っています。
尚、古伊万里と柿右衛門様式の判別が難しい作品は「柿右衛門手」と呼ばれ、
近年では、時代や作風が下がる作品にも「柿右衛門」の語が広く用いられる傾向があります。
オランダ東インド会社(Verenigde Oostindische Compagnie)との輸出産業時代
東インド会社とは17世紀に欧州諸国が東洋貿易の為に設立した特許会社で、
イギリスは1600年、オランダは1602年、フランスは1604年に設立されました。
「V.O.C(Verenigde Oostindische Compagnie)」の頭文字を合わせたモノグラムは社章であり、
会社所属を示す為に倉庫、貨幣、大砲、旗、陶磁器等に入れられました。
同社は本来の目的である香辛料の他に、
欧州で生産する事ができなかった磁器に価値を見出して中国貿易を行いました。
中国から輸入される硬質磁器は「白い金(White Gold)」と呼ばれ、
金に匹敵する価値のある貴重品として取引されました。
贅沢品で所有者のシンボルともいえる膨大な量の磁器が欧州へ齎されると、
その美しさは欧州人に深い感銘を与えて磁器焼造を促す要因となります。
しかし、1640年代の明・清王朝交代に伴う内乱や海外貿易の制限政策を起因とし、
景徳鎮窯を始めとした磁器窯が乱調になって買い付けが殆ど不可能になった結果、
安定期に入っていた日本磁器に代替的な供給が求められました。
1653(承応2)年に日本はV.O.C(オランダ東インド会社)と伊万里焼の輸出契約を結び、
1659(万治2)年に約56,700個という大量注文を受け、
日本にも華やかな輸出産業時代が訪れる事になります。
近世の胎動がようやく治まって新しい幕藩体制が整い始める中、
伊万里焼は佐賀藩鍋島家の殖産品として国際的マーケットで脚光を浴びる事になりました。
発注の際に見本(中国磁器)を示された結果、
初期の輸出磁器には芙蓉手等を始めとする明時代末期の中国磁器を写した作品が多いです。
V.O.Cの大量注文によって肥前有田では著しい技術進歩を遂げ、
窯の規模も拡大された事で大型の沈香壷も数多く焼成できるようになりました。
輸出された磁器の形状は多種多様で、
伊万里焼が大きな繁栄を迎える事ができたのは明らかにV.O.Cによる貿易恩恵です。
1684(貞享元)年に清王朝が遷界令を解除して中国磁器の輸出が再開されると、
1712(正徳2)年頃から活況を呈し、
中国磁器は再び市場での支配的地位を回復していきます。
こうして質と量と低価格の市場競争で伊万里焼は敗れました。
V.O.Cとの貿易で輸出された磁器の総計数も圧倒的に日本より中国が上回っています。
1710(宝永7)年に欧州初となる磁器窯・マイセンが設立された事も要因の一つとして、
アジアからの磁器輸出は次第に減少の一途を辿ります。
1757(宝暦7)年には僅か300個を最後に公的な日本の磁器取引が終了し、
以後は商館私貿易に委ねられました。

















