砡のような玲瓏な艶を帯びた鍋島青磁の優品です。雨過天晴の神秘的な青さ、濃艶な赤絵による紅葉文、威厳と気品を備えた孤高の存在感は時の権力者をも魅了しました。
- 時代
- 江戸時代
18世紀前半
- 重量
- 333g
- 口径
- 14.7cm
- 高さ
- 5.0cm
- 底径
- 7.5cm
- 備考
- 桐箱(印籠箱)
- 来歴
- 「通観 鍋島青磁 初期から末期まで」、創樹社美術出版、No46、裏表紙、所載品
「鍋島 魅惑の美とその歴史」、創樹社美術出版、No10、所載品
- 状態
- 完品(高台に窯疵があります)
洗練された造形、美しい青磁釉、秀抜な焼き上がりと一級品の条件を満たしています。高台の窯疵の中には釉薬が掛かっています。
鍋島焼
鍋島焼とは肥前国佐賀藩鍋島家の庇護の下、
松浦郡大川内山の鍋島藩窯で焼成された精巧で格調高い特別誂えの磁器です。
日本では唯一の官窯的性質を持ち合わせた世界に誇れる最高傑作品であり、
その技術練度は柿右衛門様式を遥かに凌ぎ、極めて高い評価を確立しています。
最上質の物は中国の御器廠(官窯)に比肩しうるといっても過言ではありません。
将軍家への献上を目的として幕藩体制における公儀権力への忠誠服従の表徴、
更に諸大名との公誼和親の証に藩外へ散布されました。
伊万里焼のように販売を目的とした物ではなく、
江戸時代を通して採算度外視で焼成している為に一般には全く市販されませんでした。
藩窯の基本姿勢であった茶陶路線は執らず、皿を中心とした実用器に焦点を当てました。
肥前地方では焼物の生産地区を「山」と呼び、
鍋島藩では御用品を焼成する窯場を「御道具山(鍋島藩窯)」と称しました。
又、「(御)留山」とは御殿様の窯場という最高の敬意を含んだ呼称です。
鍋島藩窯には肥前諸窯から最高練度の技術をもつ職人が召致され、
他窯場と離れた幽境で厳格な組織下に藩窯の作風確立が図られました。
陶工は31人、生産数は年間5,031個と幕末の記録に残っています。
尚、出入り口には関所を設けて関係者以外の通行を禁止し、
このような厳重な警戒態勢を極めていたのは藩窯秘技の漏洩を防ぐ為でした。
ここで働く職人は全て名字帯刀を許可され、一切の公課は免ぜられたと伝えられます。
有田町の中心から直線にして北に約5kmの鍋島藩窯跡へ行くには遠回で迂回せねばならず、
その行程となると8kmは十分にあり、鍋島藩窯を隔離する上で適当な距離でした。
生産は中国の御器廠に倣った各専門による分業体制で自己の最善が尽くされました。
1枚の皿といえども多数の職人の手を経ています。
運搬中の破損事故も考慮して製品は余分に造られ、基本は20枚一組で献上された事が伝えられています。
盛期は優れた技法に裏付けされた最高峰の技術が集約されており、
染付や青磁がありますが、最も主たるものは世にいわれる「色鍋島」です。
色鍋島は染付で輪郭線を描いて赤、緑、黄の基本色で枠内に上絵付けをします。
この技法は明時代・成化年間(1465~87)の「豆彩(闘彩)」を踏襲して洗練された技術を示し、
労力を惜しまない採算度外視の御用窯だからこそ実現する事ができました。
文様の特徴は中国や朝鮮の図案影響を脱して和様の情趣を反映しているところにあり、
自然界の植物文を中心に独自の洗練された風格を持ちます。
又、山水や能衣装、桃山・江戸時代の絵手本からも画題を取り入れています。
代表的な器形は轆轤成形による「木盃形」という高い高台に特色がある皿です。
通常の有田民窯に比べて高台が高いというのは格式を演出する意味合いも考えられます。
高台の外面周囲には多くの作品に「櫛歯文」と呼ばれる特殊な模様が染付で描かれており、
当時は基本的に鍋島藩窯だけに許された技法で他窯においては厳重に禁じられました。
盛期は染付で輪郭線を描いた中に濃みを入れていく綿密な手法を執っていますが、
時代が下がるに連れてだんだん長くなって乱れ出し、
次第に簡略化された一本線で描かれるような退化傾向が現れます。
製品には検査役員の数回に及ぶ厳重な検査が行われ、
選考された合格品だけが藩に納められ、欠点をもつ不合格品は残らず破砕されました。
1871(明治4)年の廃藩置県によって鍋島藩窯も廃窯となりました。
鍋島青磁
日本では鎌倉時代以来に大陸渡来の青磁(唐物)が珍重され、
鍋島焼も青磁には特に力を入れていました。
大川内山(鍋島藩窯)では良質の青磁鉱石が採掘できる為に移窯したという説も知られており、
鍋島藩は清澄で素晴らしい日本屈指の青磁を生み出し、
優れた作品におきましては砧青磁も彷彿とさせる青磁色を呈しています。
鍋島青磁は中国の砧青磁や郊壇官窯青磁を狙った作品で、
釉薬は大川内山二本柳で採集される天然の青磁鉱石に最上の柞灰を混ぜており、
この柞灰によって最盛期の柔らかく、美しい肌が生み出されました。
青磁は幾重にも釉層を重ねていく事によって深みのある発色となるのですが、
その度に窯入れして焼成しなければなりませんので、多くのリスクを伴いました。
将軍家や諸大名への献上を目的とした鍋島は日本の官窯的性格を持ち合わせている為、
青磁焼成におきましても採算度外視されました。
一般的な青磁は単味の青磁釉を施しただけの物が多いのですが、
鍋島青磁では染付や色絵を併用した高度な作例も確認されています。
青磁釉下に呉須が入った鍋島の青磁染付は胎土に最低2回は青磁釉が施されており、
その上に呉須を入れて再び青磁釉を掛けて焼成します。
このように最低でも3回は焼成されるという入念周到な制作過程を経ています。