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 天平堂
一大事と申すは云々(細川護熙)-y1

一大事と申すは云々(細川護熙)

200,000(税込)

正受老人(道鏡慧端)の言葉にある「大事な事は過去の事でも、未来の事でもなく、今日只今をしっかり見つめて生きる事」という意味です。二度と来ない今日という日を大切に、今日でなければできない事、今日すべき事を丁寧に考え、しっかり実行する。人生で最も大事な事は立身出世する事でもなく、財産を蓄える事でもなく、今日只今をどんな心でいるかという事です。

商品コード
250311-2
作者
細川護熙
1938(昭和13)年生
本紙サイズ
(縦)33.4×(横)27.5cm
軸装サイズ
(縦)111.0×(横)35.4cm
備考
紙本墨書
軸装(静好堂中島)
次第
共箱
状態
良好

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細川護熙 1938(昭和13)年生

細川護煕は細川家17代当主・細川護貞の長男として東京都に生まれました。
号を不東といいます。
1963(昭和38)年、上智大学法学部を卒業後、朝日新聞社に入社しました。
1968(昭和43)年、朝日新聞社を退社しました。
1971(昭和46)年、参議院に初当選しました。
1983(昭和58)年、熊本県知事に就任しました。
1992(平成4)年、日本新党を結成しました。
参議院に再当選しました。
1993(平成5)年、衆議院に初当選しました。
79代内閣総理大臣に就任しました。
1994(平成6)年、内閣総理大臣を辞任しました。
1998(平成10)年に還暦を区切りとして政界を引退し、
祖母の邸宅であった神奈川県湯河原の不東庵に閑居しました。
不東庵の一角にある茶室「一夜亭」は僅か一ヶ月で建築され、
豊臣秀吉の一夜城に因んで名付けられました。
銀座で開催されていた白洲正子の娘婿の陶芸個展で感化を受け、
奈良県の辻村史朗の下で一年半に亘って陶芸を学びました。
晴耕雨読の下に執筆活動を行いながら茶陶や書を基本とした個展を開催しており、
国内のみならず、海外においても高い評価を確立しています。