春海バカラの美学を体現する金筋グラス十客揃い。春海商店の共箱に収まり、全て無傷の完品で揃う希少な組み合わせは、まさにプレミアの風格を湛えています。金縁に金筋をあしらった意匠は「吉兆好み」として知られ、清々しい夏のひと時に雅を添える逸品です。冷茶、日本酒、ビール等、季節の趣に寄り添いながら、白木のカウンターに並ぶ姿は凛とした静謐と美しさを空間に満たし、金筋の繊細な輝きは光を受けて涼やかに揺らぎます。共箱に「貮拾個」と記載されていることから、元来は二組揃いであった事が窺え、往時の格式と用の美が今に息づいています。
- 時代
- 20世紀前半
- 重量
- 約 58g(1客あたり)
- 口径
- 約 5.5cm
- 高さ
- 約 8.9cm
- 次第
- 時代箱
- 来歴
- 春海商店
- 状態
- 完品
使用感のない良好な状態を保っています。
バカラ
バカラは各国王室に愛され続ける、
フランスを代表するクリスタルのラグジュアリーブランドです。
その始まりは1764年にフランス王ルイ15世が、
ロレーヌ地方・バカラ村にガラス工場の設立を許可した事に遡ります。
1816年には初のクリスタルガラスが誕生し、以来200年以上に亘り、
職人達の手技が光と影の芸術を紡いできました。
吹き、削り、磨き上げる、その一連の工程を極めるには、およそ15年の歳月が必要とされ、
M.O.F(フランス国家最優秀職人章)を受章した匠を50名以上も輩出しています。
バカラのクリスタルは「フルレッドクリスタル」と呼ばれ、
酸化鉛含有率30%以上という厳格な品質基準を誇ります。
その為、製品化されるのは全体のわずか6-7割。
残りは基準に満たず、破棄される程のこだわりです。
世界中のセレブリティを魅了するその透明感と煌めきは、
祝福の場にふさわしい華やぎを添え、
日常のひと時を非日常へと昇華させる力を秘めています。
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春海バカラ
バカラと春海商店の関係の歴史は1901(明治34)年に時計宝石商の安田源三郎が欧州土産として、
姻戚関係にあった春海商店3代春海藤次郎にバカラ社の切子皿を贈った事に遡ります。
藤次郎はこの高品質のガラスに魅せられ、1903(明治36)年には注文を始めたとされています。
発注に当たっては1900(明治33)年からバカラと取引を行っていた安田が取次業務を担っており、
1906(明治39)年9月13日付けの千筋文蓋付碗の図面には春海商店ではなく、
安田源三郎の名が記されており、
春海商店からの直接発注は1920(大正9)年11月10日付けで始まっています。
春海商店による海外発注は初めての事ではなく、
既にオランダ等へ茶の湯に用いる陶器の注文等を行っており、
当時のカタログを兼ねた引札からは、バカラ以外のガラス製品も取り扱っていた事が伺えます。
国内でも群を抜く資本力を備えていた春海商店とはいえ、
遠く離れた異国へ向けての取引を断行した勇気と先見性には驚嘆すべきものがあります。
バカラ社のクリスタル鉢一つで、家一軒分に該当する程の高価な作品であった事が伝えられており、
日本工芸史上初の注文ガラスは、まさに近代の古染付とも云えます。
当初、春海商店は既製品を輸入していましたが、
広い洋間に合うようにデザインされていたバカラ製品は日本の茶室や座敷にはそぐわなかった為、
自身で茶道具や懐石道具をデザインして特別注文するようになりました。
当時、ガラスの器を茶事に用いるという発想は異端でありましたが、
春海商店とバカラの職人達は新たな創造を生み出すという信念の下に透明の茶器を造り上げました。
次第にその作品は「春海好み」と称され、愛されるようになります。
中国古陶磁の角鉢を基にした金縁霰切子枡鉢、漆椀を手本にした金縁千筋文の汁碗や飯碗、
陶器を模した徳利や杯等、茶人ならではの発想で注文されている様子が窺えます。
料亭「吉兆」では昭和初期から日本で初めて夏懐石にこれらバカラを取り入れたと伝えられます。
春海商店の美意識を上質な鉛クリスタルガラスで表現したバカラ職人達の確かな腕、
完成度の高い洗練されたデザインは現在も多くの人々を魅了し続けており、
昭和、平成、令和とバカラ社で春海好みのコレクションが復刻されています。