天台宗の開祖・最澄による「一隅(いちぐう)を照らす、これ則ち国宝なり」という有名な言葉があり、「国の宝は金銀財宝ではなく、片隅(一隅)で社会を照らしている人」という意味です。世の中は表舞台、派手で目立つ事に目を奪われがちですが、世間の片隅にあっても精一杯に尽くす事が尊く、一人一人が灯す小さな光がやがて大きな光となります。全てが当たり前にあるのではなく、それを支えてくれる人により世の中は成り立っています。
「一隅を照らす人でありたい」
慌ただしい日常の中、とても大切な事を思い出させてくれる言葉です。日本料理店、割烹の室礼に最適です。
- 作者
- 細川護熙
1938(昭和13)年生
- 本紙サイズ
- (縦)15.9×(横)22.9cm
- 軸装サイズ
- (縦)121.8×(横)33.9cm
- 備考
- 紙本彩色
軸装(静好堂)
- 次第
- 共箱(共箱を保護するタトウ箱に染みがあります)
- 状態
- 良好
細川護熙 1938(昭和13)年生
細川護煕は細川家17代当主・細川護貞の長男として東京都に生まれました。
号を不東といいます。
1963(昭和38)年、上智大学法学部を卒業後、朝日新聞社に入社しました。
1968(昭和43)年、朝日新聞社を退社しました。
1971(昭和46)年、参議院に初当選しました。
1983(昭和58)年、熊本県知事に就任しました。
1992(平成4)年、日本新党を結成しました。
参議院に再当選しました。
1993(平成5)年、衆議院に初当選しました。
79代内閣総理大臣に就任しました。
1994(平成6)年、内閣総理大臣を辞任しました。
1998(平成10)年に還暦を区切りとして政界を引退し、
祖母の邸宅であった神奈川県湯河原の不東庵に閑居しました。
不東庵の一角にある茶室「一夜亭」は僅か一ヶ月で建築され、
豊臣秀吉の一夜城に因んで名付けられました。
銀座で開催されていた白洲正子の娘婿の陶芸個展で感化を受け、
奈良県の辻村史朗の下で一年半に亘って陶芸を学びました。
晴耕雨読の下に執筆活動を行いながら茶陶や書を基本とした個展を開催しており、
国内のみならず、海外においても高い評価を確立しています。