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 天平堂
Gosu-Akae Sakigakede Bowl(Ming Dynasty)-y1

呉須赤絵魁手菓子鉢(明時代末期)

御売却済

外側全面に花鳥文を配した自由奔放で軽妙洒脱な呉須赤絵です。見込みの文字から「魁手」とも呼ばれ、茶の湯の菓子鉢として珍重されています。大鉢の類が多いのですが、嬉しい小振りの寸法です。

商品コード
240903-1
時代
明時代末期
17世紀前半
重量
425g
口径
16.6cm
高さ
7.2cm
底径
6.5cm
次第
仕覆
時代箱(桐箱)
状態
完品

全体的に使用擦れが見られますが、良好な状態を保っています。

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明時代


呉須赤絵

呉須赤絵とは明時代末期を中心に福建省南部の漳州窯で焼成された色絵磁器です。
その様式は景徳鎮民窯の古赤絵や金襴手の系譜を引いており、
そこから展開されたものと捉えられています。
基本的に染付は下地に用いられず、乳白色の失透釉が内外に厚く施されています。
上絵付けは赤色を基調に緑や青色が加えられ、
自由放胆で荒々しいまでの伸び伸びとした描写には一種の風格さえ感じられます。
稀に赤玉文様に金箔を上絵付けしている事があります。
焼き上がりは全体的にボテボテとした甘い作品が多く目立ちます。
鉄分が強い粒子の大きな砂を匣鉢の中に敷いて器物を焼成していた為、
底部に砂が付着しているのも特色の一つです。
文様が表現された構図には日本語の「天下一」の文字銘やアラビア文字を描いた例もあり、
東南アジアから日本を主商圏としていた背景が窺えます。
中でも呉須赤絵を好んで珍重したのは日本であり、
日本の茶人は玉取獅子鉢や魁手鉢を特に高く評価しています。


呉須手

呉須手とは明時代末期を中心に福建省南部の漳州窯で焼成された粗製磁器です。
呉須赤絵、呉須染付、餅花手等の作品が知られており、
東南アジアから日本を主商圏としていました。
輸出港である広東省の汕頭港に因んで欧米では「スワトウ・ウェア」と呼ばれています。
名称の由来は書画の達人とされる宋時代の文人・趙子昴の名を逆さまにして、
絵の下手なものを「昴子」と呼び、これが「呉須」に変化したとも考えられていますが、
江戸時代には中国南方を漠然と「呉」と呼んでいた事から中国南方の焼物という意味で、
「呉須手」と呼ぶようになったという説が最も有力視されています。
「呉須」の文字が最も一般的に用いられていますが、
元来は「呉州」、「呉洲」の当て字で主に明治~大正時代に使用されるようになりました。