LOADING

 天平堂
Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-y1

藍柿右衛門竹燕文皿(江戸中期)

500,000(税込)

肥前磁器の技術が極地にまで到達した柿右衛門様式の優品です。柔らかな白色に乱れのない精緻な筆致で竹に燕文が軽妙に描かれており、入手できる機縁が少ないブランドの一つに数えられます。縁銹が器をより引き締めており、優雅で特別な空気感を纏っています。

商品コード
240112-2
時代
江戸中期
17世紀後半
重量
210g
口径
18.0cm
高さ
2.7cm
底径
11.6cm
次第
桐箱(張込箱)
アクリル皿立
状態
完品

洗練された厳しい造形、美しい染付、優れた状態と一級品の条件を満たしています。

Photo Gallery

  • Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-1
  • Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-2
  • Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-3
  • Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-4
  • Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-5
  • Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-6
  • Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-7
  • Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-8
  • Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-9
  • Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-10
  • Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-11
  • Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-12-jp
  • Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-13-jp
Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-1
Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-2
Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-3
Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-4
Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-5
Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-6
Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-7
Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-8
Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-9
Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-10
Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-11
Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-12-jp
Kakiemon Dish with design of Bamboo and Swallow(Edo Period)-13-jp

Video

肥前磁器


柿右衛門様式を始めとする肥前磁器は延宝年間(1673~81)頃に円熟した完成期を迎えます。
余白を活かした構図に呉須の濃淡を駆使した精緻な筆致で、
完成度の高い洗練された作行を示します。

藍柿右衛門竹燕文皿(江戸中期)-1

燕は春に暖かくなってくると、
東南アジアから海を渡って日本に来る渡り鳥です。
カラスや蛇等の外敵から身を守る為、
家の軒先等の人の出入りが多い場所に巣を作ります。
夏は燕の子育ての時期であり、
つがいで子を育てる事から子沢山、安産、縁結びという意味を持ち、
古くから福を呼ぶ鳥として「燕が巣を作る家は栄える」と伝えられます。
農家では害虫を食べてくれる益鳥として愛されました。

藍柿右衛門竹燕文皿(江戸中期)-2

高台内には小さな目跡が3つ確認できます。
中国磁器を目指す中で肥前磁器は皿類の高台幅が広くなり、
焼成中に高台内の底部が垂れるのを防ぐ為、
磁胎と同じ材質で作られた「針」という円錐状の支えを付ける手法が普及します。
この目跡は小さければ小さい程に上手の作品が多く、
現品が上質な作品である事を物語っています。

藍柿右衛門竹燕文皿(江戸中期)-3

弊店で特注した最高級仕様の桐箱(八方面印籠箱)です。

藍柿右衛門竹燕文皿(江戸中期)-4

専門の張込職人さんに特注して仕上げる内箱仕様です。
すっきりとした内観で作品の収納がスムーズにできます。

藍柿右衛門竹燕文皿(江戸中期)-5


柿右衛門様式

柿右衛門様式とは延宝年間(1673~81)頃を中心に焼成された伊万里焼の様式です。
現在における「柿右衛門」の定義とは柿右衛門家のみで造られた独占的な作品ではなく、
V.O.C(オランダ東インド会社)からの大量注文を受けて、
肥前有田の窯々で輸出用に完成された作品群として「様式」の語句が付加されています。
絵師の手による余白を活かした繊細な絵付け、精緻を極めた作行を特徴とし、
優雅で気品高い柿右衛門様式は欧州の王侯貴族を魅了した高級花形商品として、
V.O.Cによって大量に積み出しされた磁器の中でも特に根強い人気を博しました。
更に「濁手」と呼ばれる乳白色の温かみある柔和な素地は色絵の鮮麗さをより際立たせ、
以後のマイセンやシャンティイにおける欧州磁器の焼成に大きな影響を与えました。
尚、柿右衛門様式には「渦福」と呼ばれる銘款が入った作品が多く見られます。
デザイン化した「福」が渦を巻いたように見える事から呼び慣わされている名称です。
「金」、「古人」等の銘款は上手の優品に多く見られます。
江戸時代に輸出された古伊万里も豪華絢爛な美を示しましたが、
人々の目を引いて関心を集めているのはやはり柿右衛門様式の作品です。

https://tenpyodo.com/dictionary/old-kakiemon/


オランダ東インド会社(Verenigde Oostindische Compagnie)との輸出産業時代

東インド会社とは17世紀に欧州諸国が東洋貿易の為に設立した特許会社で、
イギリスは1600年、オランダは1602年、フランスは1604年に設立されました。
「V.O.C(Verenigde Oostindische Compagnie)」の頭文字を合わせたモノグラムは社章であり、
会社所属を示す為に倉庫、貨幣、大砲、旗、陶磁器等に入れられました。
同社は本来の目的である香辛料の他に、
欧州で生産する事ができなかった磁器に価値を見出して中国貿易を行いました。
中国から輸入される硬質磁器は「白い金(White Gold)」と呼ばれ、
金に匹敵する価値のある貴重品として取引されました。
贅沢品で所有者のシンボルともいえる膨大な量の磁器が欧州へ齎されると、
その美しさは欧州人に深い感銘を与えて磁器焼造を促す要因となります。
しかし、1640年代の明・清王朝交代に伴う内乱や海外貿易の制限政策を起因とし、
景徳鎮窯を始めとした磁器窯が乱調になって買い付けが殆ど不可能になった結果、
安定期に入っていた日本磁器に代替的な供給が求められました。
1653(承応2)年に日本はV.O.C(オランダ東インド会社)と伊万里焼の輸出契約を結び、
1659(万治2)年に約56,700個という大量注文を受け、
日本にも華やかな輸出産業時代が訪れる事になります。
近世の胎動がようやく治まって新しい幕藩体制が整い始める中、
伊万里焼は佐賀藩鍋島家の殖産品として国際的マーケットで脚光を浴びる事になりました。
発注の際に見本(中国磁器)を示された結果、
初期の輸出磁器には芙蓉手等を始めとする明時代末期の中国磁器を写した作品が多いです。
V.O.Cの大量注文によって肥前有田では著しい技術進歩を遂げ、
窯の規模も拡大された事で大型の沈香壷も数多く焼成できるようになりました。
輸出された磁器の形状は多種多様で、
伊万里焼が大きな繁栄を迎える事ができたのは明らかにV.O.Cによる貿易恩恵です。
1684(貞享元)年に清王朝が遷界令を解除して中国磁器の輸出が再開されると、
1712(正徳2)年頃から活況を呈し、
中国磁器は再び市場での支配的地位を回復していきます。
こうして質と量と低価格の市場競争で伊万里焼は敗れました。
V.O.Cとの貿易で輸出された磁器の総計数も圧倒的に日本より中国が上回っています。
1710(宝永7)年に欧州初となる磁器窯・マイセンが設立された事も要因の一つとして、
アジアからの磁器輸出は次第に減少の一途を辿ります。
1757(宝暦7)年には僅か300個を最後に公的な日本の磁器取引が終了し、
以後は商館私貿易に委ねられました。


オランダ東インド会社(Verenigde Oostindische Compagnie)との関連事項

  • 1602(慶長7) 年 オランダ東インド会社(V.O.C)が設立されました。
  • 1609(慶長14)年 平戸にオランダ商館が設置されました。
  • 1641(寛永18)年 長崎・出島にオランダ商館が移転されました。
  • 1644(寛永21)年 1640年頃より中国からV.O.Cへの磁器輸出が減少し、
    この年をもって終わりを告げたとされています。
  • 1650(慶安3) 年 中国に代わって初めて日本から磁器が輸出されました。
  • 1651(慶安4) 年 オランダ商人に加えて中国商人も伊万里焼の積み出しを開始し、
    伊万里焼はオランダと中国に同じくして買い付けられました。
  • 1653(承応2) 年 V.O.Cと伊万里焼の輸出契約を結び、
    貿易記録として知られている磁器輸出が開始されます。
  • 1659(万治2) 年 V.O.Cから伊万里焼の大量注文(約56,700個)を受け、
    芙蓉手等を始めとする染付磁器が本格的に輸出されました。
  • 1661(寛文元) 年 清王朝は遷界令を公布し、中国磁器の輸出が停止しました。
  • 1684(貞享元) 年 清王朝は遷界令を解除し、中国磁器の輸出が再開されました。
  • 1710(宝永7) 年 ドイツ・マイセンに磁器工場が設立されました。
  • 正徳年間(1711~16)頃に幕府は貿易制限を強化し、
    出島に来航するオランダ・中国船の数を約半分に減少させました。
    こうして磁器輸出も衰退の意図を辿っていきます。
  • 1725(享保10)年 この頃からV.O.Cによる日本との貿易が停滞しました。
  • 1757(宝暦7) 年 V.O.C記録では僅か300個を最後に公的な磁器取引が終了し、
    以後は商館私貿易に委ねられます。
  • 1799(寛政10)年 V.O.Cが解散しました。