目が覚めるような濃厚な上絵付けで花鳥文が洒脱に彩られています。その無心な筆捌きにより、花は命を得て、蝶ははばたき出すかのようです。特筆すべきは中央に配された吉祥の「福」字であり、通常の呉須赤絵と一線を画しています。自由で飾らない雰囲気の作風は茶人間で高い人気を博しました。類似品が徳川美術館に確認できます。
- 時代
- 明時代末期
17世紀前半
- 重量
- 約 268g(1客あたり)
- 口径
- 約 16.6cm
- 高さ
- 約 3.5cm
- 底径
- 約 8.1cm
- 次第
- 桐箱
- 状態
- 完品
地肌や色絵の発色、焼き上がりも良好で、素晴らしい状態を保っています。
吉祥の願いが込められた豪華絢爛な呉須赤絵です。
明時代末期を中心に福建省南部の漳州窯で焼成されました。
青色で「福」字が中央に配されています。
菊は薬草として奈良時代に中国から伝えられました。
その美しさを高潔な花として君子に例えた「四君子(菊、蘭、竹、梅)」にも含まれており、
君子とは徳が高くて品位の備わった人物を指します。
牡丹は奈良時代に中国から伝えられました。
元は薬用(鎮痛、消炎、浄血)とされていましたが、
どの花よりも優雅で豪華である事から「百花の王」と名付けられました。
五客が無傷で揃っており、
お祝いの席でお料理を引き立ててくれます。
四季を通して使用する事ができる文様構成も嬉しいです。
砂を敷いて器物を焼成していた為、
底部には砂が付着した物も見られます。
日本の茶人は粗笨な味わいに自然の雅味を見出しました。
類似品が徳川美術館に所蔵されています。
10客や5客の揃いは見応えがあります。
呉須赤絵
呉須赤絵とは明時代末期を中心に福建省南部の漳州窯で焼成された色絵磁器です。
その様式は景徳鎮民窯の古赤絵や金襴手の系譜を引いており、
そこから展開されたものと捉えられています。
基本的に染付は下地に用いられず、乳白色の失透釉が内外に厚く施されています。
上絵付けは赤色を基調に緑や青色が加えられ、
自由放胆で荒々しいまでの伸び伸びとした描写には一種の風格さえ感じられます。
稀に赤玉文様に金箔を上絵付けしている事があります。
焼き上がりは全体的にボテボテとした甘い作品が多く目立ちます。
砂を敷いて器物を焼成していた為、底部に砂が付着しているのも特色の一つです。
文様が表現された構図には日本語の「天下一」の文字銘やアラビア文字を描いた例もあり、
東南アジアから日本を主商圏としていた背景が窺えます。
中でも呉須赤絵を好んで珍重したのは日本であり、
日本の茶人は玉取獅子鉢や魁手鉢を特に高く評価しています。
呉須手
呉須手とは明時代末期を中心に福建省南部の漳州窯で焼成された粗製磁器です。
呉須赤絵、呉須染付、餅花手等の作品が知られており、
東南アジアから日本を主商圏としていました。
輸出港である広東省の汕頭港に因んで欧米では「スワトウ・ウェア」と呼ばれています。
名称の由来は書画の達人とされる宋時代の文人・趙子昴の名を逆さまにして、
絵の下手なものを「昴子」と呼び、これが「呉須」に変化したとも考えられていますが、
江戸時代には中国南方を漠然と「呉」と呼んでいた事から中国南方の焼物という意味で、
「呉須手」と呼ぶようになったという説が最も有力視されています。
「呉須」の文字が最も一般的に用いられていますが、
元来は「呉州」、「呉洲」の当て字で主に明治~大正時代に使用されるようになりました。