精良な胎土で薄手に成形されており、端正で安定した造形美を見せる硬質白磁です。清楚な気品に満ちた青白色は極めて高い水準を保っており、高台には細やかな砂目が確認できます。国王の御器として専用された白磁は国教である儒教の精神が深く浸透し、神聖と簡素を旨に高い品格が要求されました。
- 時代
- 朝鮮時代
15世紀
- 重量
- 57g
- 盃
- 口径:6.4cm
高さ:2.7cm
底径:3.1cm
- 台
- 口径:6.6cm
高さ:1.0cm
底径:3.4cm
- 次第
- 桐箱
- 来歴
- 壺中居
- 状態
- 完品
青白色を帯びた釉調が美しく、良好な状態を保っています。
李朝
李氏朝鮮とは1392年に李成桂が朝鮮半島に建国した朝鮮最後の統一王朝です。
国号は李成桂が明国王に認知を求め、1393年に採択した経緯があります。
「李朝」の呼称は日本において定着し、長く用いられています。
高麗時代の仏教が衰え、抑仏崇儒政策が推し進められると、
儒教の精神は人々の生活の規範として深く浸透し、
清廉潔白を崇め、醇朴で倹素な気風を養う事が理念とされました。
儒教の普及と共に祭祀も宮廷から一般庶民に至るまで盛大に行われ、
「白」は神聖と簡素を旨とする清浄無垢な色として祭器においても白磁が珍重されました。
白磁を母体に染付、鉄砂、辰砂等の装飾が生まれていきますが、
節用を重んじた体制下では最後まで色絵が焼成される事はありませんでした。
日清戦争(1894~1895)後の1897年に国号を「大韓」と改称しました。
日露戦争(1904~1905)後は日本の保護国となり、1910年の韓国併合で滅亡しました。
李朝陶磁への深い理解と愛情を持ち、社会的に広く認識させる力を発揮したのは、
浅川伯教と巧の兄弟であり、その兄弟の手引きによって心を傾けていったのは柳宗悦でした。
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李朝初期 15世紀~16世紀
李朝初期の陶磁器は粉青沙器と白磁が主流を成します。
粉青沙器は三島、刷毛目、粉引等の種類が知られており、
白化粧の装飾技法が取り入れられると新時代に即応して大きな変貌を遂げました。
15世紀は本格的な白磁生産への移行期であり、
上質の白磁は宮中御器や中国に対する進献用として相応しい品格が要求されました。
官窯としての役割を担う専属の窯は燃料となる薪を求めて広州郡内の移動を繰り返し、
牛山里、道馬里、樊川里等には早い時期から活動していた窯跡が確認されています。
中国陶磁の影響からペルシャ由来の高価な輸入顔料(回回青)を用い、
画員(宮中画員)が派遣されて染付を入れた事は幾つかの文献に記載されており、
これらは希少性も相まって入手は困難です。
やがて国内で土青が使用されるようになりますが、量的にも少なく、僅かしか生産されませんでした。
鉄絵も15世紀頃から作例が見られますが、本格的な生産は17世紀に入ってからとなります。
李朝白磁
温和な表情に静寂な雰囲気を漂わせる李朝白磁は東洋陶磁の極地です。
朝鮮王朝の為政者は白磁への関心が強く、
王家や官庁の御器にも清廉潔白を尊ぶ儒教精神と共に深く根付いていきました。
「白衣民族」として清楚で慈愛に満ちた美しい白色を愛し、
硬い灰白色、失透性の乳白色、青白色、千差万別の白に多様性があります。