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 天平堂

茶の湯釜

Kettle

茶の湯釜

茶の湯釜は席入りから退出まで常時替わらない亭主の成り代わりです。「釜を懸ける」とは茶会を催す事を意味し、その日の出来事を思い返しながら、独服する心中は曇りのない清澄な境地に至るといっても過言ではありません。茶の湯釜の主たる生産地は大きく四箇所に分けられます。筑前(福岡県)の「芦屋釜」や佐野(栃木県)の「天命釜」が茶の湯釜の発祥地ですが、後の千利休の時代に京都の三条釜座で多くの名工が輩出されると、茶の湯釜の中心は「京釜」となり、江戸時代には関東で江戸名越家、江戸大西家、堀家、山城家が「関東作釜」を成しました。芦屋や天明等の鋳物師集団は「金屋」、工人は「金屋大工」と名乗りましたが、江戸中期頃からは「釜師」と称するようになります。釜師は依頼者である茶人や数寄者の好みや要望に応えるべく、点前の変遷、趣向に合わせながら技巧を凝らしました。大振りの釜は炉の季節(11月~4月)、やや小振りの釜は風炉の季節(5月~10月)に使用されます。


天明釜

天明釜とは下野国佐野庄天命(現:栃木県佐野市)で鋳造された茶の湯釜です。古くは「天命」といい、「天猫」の表記も知られています。天猫は利休が洒落て付けたとする説や、江戸時代に地名と思わずに天猫という人物が造ったと誤認した説があります。古くより栄えた鋳鉄の文化を背景とし、制作当初は日常で用いられる実用性の高い釜として生まれました。室町時代後期には町衆の茶会記にも多く登場するようになり、「西の芦屋(福岡県)、東の天明(栃木県)」と並び称されました。芦屋釜の真形と呼ばれるような定まった形がなく、常張釜、責紐釜、提灯釜、筋釜、車軸釜等、自由な造形を示します。芦屋釜の鯰肌(鯰の表皮のように光沢がある滑らかな肌)とは対照的に、ゴツゴツとした荒肌や岩肌を特徴とし、侘びた風情や朽ちた美が魅力の一つとなっています。技巧的に弾き肌を施している釜もあり、肌打ちの技術がかなり古くから存在する事が確認できます。又、芦屋釜と同様に「挽中子」の技法も用いられていました。侘茶の流行と共に京釜が台頭する江戸初期頃まで茶の湯釜を鋳造し、桃山時代以前の作品は「古天明」と称されています。


和銑と洋銑

和銑(砂鉄を炭で精錬した鉄)は腐食に強く、長年の使用に耐える事ができますが、その硬さ故に割れが生じやすく、鋳造の歩留まりが悪いです。洋銑(近代以降の西洋銑鉄と呼ばれる鉄鉱石を石炭で大量生産できる鉄)は腐食に弱く、耐用年数も短いのですが、鋳造の歩留まりが良いです。

茶の湯釜の作品の販売・買取しています

福岡市博多区に実店舗を構え、茶の湯釜の作品の販売と買取を行っております。
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