久田家
Hisadake
久田家
久田家は堀内家と共に表千家を支える家柄で表千家縁戚の茶家です。
久田家初代 生々斎宗栄 1559(永禄2)年~1624(寛永元)年
久田家初代生々斎宗栄は久田刑部小輔実房の子で名を房政、通称を新八、号を生々斎といいます。
父は近江国蒲生郡久田村に住して、佐々木氏に仕えました。
母は利休の妹と伝えられます。
初めは「宗玄」と称し、後に「宗栄」と改めました。
利休門で茶の湯を学び、秀吉の命で茶匠を家業とする事になりました。
1587(天正15)年の北野大茶の湯にも参加したと伝えられます。
久田家2代 受得斎宗利 1610(慶長15)年~1685(貞享2)年
久田家2代受得斎宗利は久田家初代生々斎宗栄の長男で、
名を宗利、通称を本間利兵衛、号を受得斎といいます。
内室は千宗旦の娘・くれで、息男・宗巴は表千家5代随流斎宗佐です。
実弟に藤村庸軒がいます。
久田家3代 徳誉斎宗全 1647(正保4)年~1707(宝永4)年
久田家3代徳誉斎宗全は久田家2代受得斎宗利の子で、
名を宗全、通称を雛屋勘兵衛、号を半床庵・徳誉斎といいます。
東江州愛知川畔の岸本にて、父と同じく「本間」姓としましたが、
京へ出て「久田」姓に改めます。
茶の湯を千宗旦に学び、「半床庵」を好んで号としました。
尚、庵号は宗旦より受けました。
実弟は表千家5代随流斎宗佐で、息男・勘太郎は表千家6代覚々斎宗左です。
宗全の茶道界における位置は極めて恵まれていました。
手造り茶碗や花入の他、好物も多いです。
久田家4代 不及斎宗也 1681(天和元)年~1744(延享元)年
久田家4代不及斎宗也は久田家3代徳誉斎宗全の弟・市三郎の子で、
本名を弥二郎、名を宗也、号を半床庵・不及斎といいます。
従兄・表千家6代覚々斎宗左に茶の湯を学び、久田家の家業を継承しました。
覚々斎宗左と共に近衛家煕に出仕しました。
高倉久田家
高倉久田家5代 涼滴斎宗悦 1715(正徳5)年~1768(明和5)年
高倉久田家5代涼滴斎宗悦は久田家4代不及斎宗也の次男で、
本名を弥四郎、名を宗悦、号を海音楼・等抱・涼滴斎といいます。
高倉二条に住して、表千家茶道を継承しました。
高倉久田家6代 挹泉斎宗溪 1742(寛保2)年~1785(天明5)年
高倉久田家6代挹泉斎宗溪は高倉久田家5代涼滴斎宗悦の長男で、
本名を弥次郎、名を宗溪・宗慶、号を磻翁・挹泉斎といいます。
長男・貞蔵は表千家9代了々斎宗左です。
高倉久田家7代 皓々斎宗也 1777(安永6)年~1819(文政2)年
高倉久田家7代皓々斎宗也は高倉久田家6代挹泉斎宗溪の次男で、
名を宗与(後に宗也)、号を維妙・皓々斎といいます。
内室は表千家8代啐啄斎の次女・おきくで、二男を得ました。
長男は夭折しましたが、次男・達蔵は表千家9代了々斎宗左の養子となりました。
了々斎の実弟、表千家10代吸江斎宗左の実父です。
高倉久田家8代 宗利 生年不詳~1844(天保15)年
高倉久田家8代宗利は本名を秀次郎、名を宗利、旧名を関宗厳といいます。
久田家7代皓々斎宗也が没した時、久田達蔵(皓々斎宗也の次男)が2歳だった為、
後見として久田家に入りました。
達蔵が表千家に移った後、「宗利」と改名し、久田家を相続しました。
大坂で客死しました。
高倉久田家9代 温厚斎宗与 1836(天保7)年~1862(文久2)年
高倉久田家9代温厚斎宗与は表千家10代吸江斎宗左の後見役・2代住山楊甫の孫で、
住山家9代憲友(不惑斎)の次男です。
本名を岩之介、名を宗与、号を温厚斎、法号を一乗宗与といいます。
1849(嘉永2)年、大阪住山家より久田家の養子となり、家督を相続しましたが、早世しました。
高倉久田家10代 玄乗斎宗悦 1856(安政3)年~1895(明治28)年
高倉久田家10代玄乗斎宗悦は表千家10代吸江斎宗左の三男で、
名を宗悦、号を玄乗斎、法号を玄乗斎宗悦といいます。
実兄は表千家11代碌々斎宗左、武者小路千家8代一指斎宗守です。
1886(明治19)年、1864(元治元)年の蛤御門の変で焼失した半床庵を復興しました。
高倉久田家11代 無適斎宗也 1884(明治17)年~1946(昭和21)年
高倉久田家11代無適斎宗也は高倉久田家10代玄乗斎宗悦の長男で、
名を重(後に宗也)、号を無適斎といいます。
幼くして両親と死別した為、12歳より表千家で養われ、表千家11代碌々斎宗左、
表千家12代惺斎宗左の膝下で茶法を受けました。
1917(大正6)年、11代襲名披露の茶事を催しました。
武者小路千家9代愈好斎宗守の実兄です。
大徳寺・昭隠和尚より「無適斎」の号を授かりました。
高倉久田家12代 尋牛斎宗也 1925(大正14)年~2010(平成22)年
高倉久田家12代尋牛斎宗也は高倉久田家11代無適斎宗也の長男で、
本名を和彦、号を尋牛斎といいます。