田原陶兵衛
Tobei Tahara
田原陶兵衛
田原家は赤川助左衛門の系統を引く深川御用窯(深川萩)の名門です。
1866(慶応2)年に8代赤川喜代蔵光高の時に嫡男・謙治が「赤川」姓から「田原」姓に改姓しました。
初代 李勺光
2代 山村新兵衛光政 生年不詳~1658(明暦4)年
3代 山村平四郎光俊 生年不詳~1709(宝永6)年
4代 山村弥兵衛光信 生年不詳~1724(享保9)年
5代 山村源次郎光長 生年不詳~1785(天明5)年
6代 赤川陶兵衛光定 生年不詳~1815(文化12)年
7代 赤川忠兵衛光行 生年不詳~1844(弘化元)年
8代 赤川喜代蔵光高 生年不詳~1879(明治12)年
9代 田原陶兵衛 生年不詳~1934(昭和9)年
9代田原陶兵衛は本名を謙治といいます。
10代 田原高麗陶兵衛 生年不詳~1939(昭和14)年
10代田原高麗陶兵衛は本名を守雄といいます。
1907(明治40)年、10代田原陶兵衛を襲名しました。
11代 田原高麗陶兵衛 生年不詳~1956(昭和31)年
11代田原高麗陶兵衛は10代田原高麗陶兵衛の長男として生まれました。
本名を忠太郎といいます。
1943(昭和18)年、技術保存窯に指定されました。
1947(昭和22)年、芸術陶器窯に認定されました。
12代 田原陶兵衛 1925(大正14)年~1991(平成3)年
12代田原陶兵衛は10代田原陶兵衛の次男として山口県長門市に生まれました。
本名を源次郎といいます。
1944(昭和19)年、旧制山口高等学校在学中に召集を受けて満州に渡りました。
1945(昭和20)年、終戦と共にシベリアに抑留されました。
1948(昭和23)年、抑留されていたシベリアから復員しました。
長兄・11代田原陶兵衛に後継者がいなかった為、家業を継承すべく陶業に従事しました。
1956(昭和31)年、12代田原陶兵衛を襲名しました。
1972(昭和47)年、日本工芸会正会員となりました。
1981(昭和56)年、山口県指定無形文化財に認定されました。
温和な人柄で知られ、茶碗にかけては特に攻手です。
ご夫人は裏千家流茶道に精通した内助です。
13代 田原陶兵衛 1951(昭和26)年生
13代田原陶兵衛は12代田原陶兵衛の長男として山口県に生まれました。
本名を謙次といいます。
1975(昭和50)年に武蔵野美術大学大学院を修了後、
唐津で中里重利に師事しました。
1977(昭和52)年、父に師事しました。
1979(昭和54)年、日本工芸会山口支部展で朝日新聞社奨励賞を受賞しました。
1980(昭和55)年、日本工芸会山口支部展で朝日新聞社奨励賞を受賞しました。
東大寺落慶の際に数茶碗55個を献納しました。
1982(昭和57)年、山口県美術展で佳作賞を受賞しました。
1987(昭和62)年、山口県美術展で佳作賞を受賞しました。
1988(昭和63)年、壺を伊勢神宮に献納しました。
1990(平成2)年、長門市教育文化振興奨励賞を受賞しました。
1991(平成3)年、日本工芸会山口支部展で朝日新聞社奨励賞を受賞しました。
1992(平成4)年、日本工芸会山口支部展で朝日カルチャーセンター賞を受賞しました。
13代田原陶兵衛を襲名しました。
1993(平成5)年、日本工芸会正会員となりました。
1995(平成7)年、日本工芸会山口支部展で近鉄松下百貨店賞を受賞しました。
1999(平成11)年、山口県芸術文化振興奨励賞を受賞しました。
2003(平成15)年、日本工芸会山口支部展で近鉄松下百貨店賞を受賞しました。