西村道仁 / 道弥 / 道也 / 道爺
Doya Nishimura
西村道仁 / 道弥 / 道也 / 道爺
初代 西村道仁 生没年不詳
初代西村道仁は西村家始祖であり、京都三条釜座に住しました。
通称を国次といいます。
織田信長から「天下一」の称号を賜り、
信長の御用釜師として名人の評が高かったと伝えられます。
道仁の在銘作品として、文禄2年(1593)銘のある京都市本国寺の鐘や、
慶長11年(1606)銘がある京都市妙蓮寺の鉄燈籠があります。
京釜の基礎を築き上げ、門下に辻与次郎がいます。
2代 西村道弥 生年不詳~1672(寛文12)年
2代西村道弥は名を吉利、通称を弥一郎(後に弥三右衛門)、俗称を古道弥といいます。
京都三条釜座に住し、千家に初めて出入りするようになり、
表千家4代江岑宗左の時代に活躍しました。
3代 西村道也 生没年不詳
3代西村道也は名を孝知(後に富常)、通称を弥一郎(後に弥三右衛門)、号を道也(後に道治)、
俗称をなり道也といいます。
表千家6代覚々斎宗左の時代に活躍し、西村家随一の上手とされています。
4代 西村道爺 生没年不詳
4代西村道爺は名を知義、通称を三右衛門、俗称をテテ道爺といいます。
京都三条釜座に住し、表千家7代如心斎宗左の時代に活躍しました。
西村九兵衛 生没年不詳
西村九兵衛は西村道仁の子や孫や弟子という説があり、
2代西村道弥の親族とも伝えられるが定かではありません。
京都三条釜座に住し、千宗旦の釜師と伝えられます。
西村九兵衛 生没年不詳
西村九兵衛は西村九右衛門の子として生まれました。
安永年間(1772~81)頃に京都油小路に住し、茶の湯釜を造りました。
後に3代に亘って、「久兵衛」を称しました。