真清水蔵六
Zoroku Mashimizu
真清水蔵六
初代 真清水蔵六 1822(文政5)年~1877(明治10)年
初代真清水蔵六は山城国乙訓郡久我村の庄屋・清水源右衛門の三男として生まれました。
幼名を太三郎、名を蔵六、号を宗缶といいます。
1834(天保5)年、京都五条坂の和気亀亭に師事しました。
1843(天保14)年に独立して五条坂に開窯し、
1844(弘化元)年に名を「蔵六」と改名しました。
妙法院宮教仁法親王より陶器制作の御用を命じられた際に「真」字を賜り、
「真清水」と改姓しました。
茶の湯に早くから親しんで裏千家11代玄々斎宗室に師事しました。
1864(元治元)年の孝明天皇への献茶に際し、
茶器一式を制作した事で玄々斎宗室より「宗缶」印を授かりました。
1873(明治6)年のウィーン万国博覧会、
1876(明治9)年のフィラデルフィア万国博覧会に出品して名声を高めました。
中国・朝鮮古陶磁の研究に励み、
特に青磁の分野において秀でた才能を発揮しました。
「青磁の蔵六」とも呼ばれ、
五条坂において青磁を制作する陶工の先駆けとして活躍しました。
1864(元治元)年の蛤御門の変による被災民、身体障害者、生活困窮者を援助する等、
福祉活動にも積極的に取り組んで徳望を集めたといいます。
「宗缶」、「保寿」、「百寿」、「真清水蔵六」、「蔵六」印等を用いました。
2代 真清水蔵六 1861(文久元)年~1936(昭和11)年
2代真清水蔵六は初代真清水蔵六の長男として京都に生まれました。
幼名を寿太郎、名を春太郎・蔵六、号を春泉・泥中庵といいます。
父が逝去して以後は母・チカの指導の下に陶業に励みました。
1882(明治15)年、2代真清水蔵六を襲名しました。
1884(明治17)年、京都博覧会で褒状を受けました。
南都博覧会で一等金賞を受賞しました。
1917(大正6)年、京都市山科区西野山に移窯しました。
この時期に荒川豊蔵や小山冨士夫との交遊が生まれます。
1930(昭和5)年、京都市西京区山田平尾町に移窯しました。
中国・朝鮮古陶磁の研究に励み、
青磁、白磁、染付、三島等の作風を得意としました。
古陶磁の鑑識にも優れ、
『陶奇』、『蔵六漫筆陶録』、『古今京窯泥中閑話』、『泥中庵今昔物語』等の著書があります。
当初は父の「百寿」印、18歳より「春泉」印、25歳以後は「蔵六」印を用いました。