加藤卓男
Takuo Kato
加藤卓男 1917(大正6)年~2005(平成17)年
加藤卓男は5代加藤幸兵衛の長男として岐阜県に生まれました。
1934(昭和9)年に岐阜県多治見工業学校を卒業後、
京都国立陶磁器試験所陶芸科へ入所しました。
1945(昭和20)年に徴兵された広島市で残留放射能に侵され、
約10年間の闘病生活を送りました。
1949(昭和24)年、父の岐阜県陶磁器試験場長就任に伴い、幸兵衛窯の運営を務めました。
1961(昭和36)年にフィンランド政府より招聘を受け、
意匠と技術交流の為にフィンランド工芸美術学校に留学しました。
留学中にイラン古窯跡やイラン国立考古博物館を歴訪した事を機とし、
幻の名陶と呼ばれたペルシア「ラスター彩」の復元を決意しました。
1962(昭和37)年、日展で特選北斗賞を受賞しました。
朝日陶芸展で朝日陶芸賞を受賞しました。
岐阜県芸術文化顕彰に推奨されました。
1963(昭和38)年、現代工芸美術展で工芸賞を受賞しました。
美濃陶芸協会初代会長、朝日陶芸展審査員に就任しました。
日展で特選北斗賞を受賞しました。
1965(昭和40)年、日展で特選北斗賞を受賞しました。
1966(昭和41)年、日展審査員、現代工芸美術展審査員、現代工芸美術家協会評議員に就任しました。
1967(昭和42)年、日展審査員に就任しました。
1968(昭和43)年、日展会員となりました。
1969(昭和44)年、東京・帝国ホテルのメインロビーに志野陶壁を制作しました。
1970(昭和45)年、中京競馬場のシンボルタワーに陶壁を制作しました。
1972(昭和47)年、古代ペルシア陶器研究により東海テレビ文化賞を受賞しました。
朝日陶芸展審査委員長に就任しました。
1973(昭和48)年にイラン王立パーラヴィ大学附属アジア研究所に留学し、
イラン国立考古博物館の発掘調査に参加しました。
この発掘調査で織部に似た陶片を発見して織部の源流をペルシアに探る調査を進めます。
中日国際陶芸展審査員、愛知県陶磁資料館準備委員に就任しました。
1974(昭和49)年、多治見市役所新庁舎貴賓室に陶壁を制作しました。
中日国際陶芸展の海外作品選定委嘱を受け、欧州8ヶ国を歴訪して作品を選定しました。
1975(昭和50)年、ペルシア釉の研究と美濃陶芸展の指導育成により中日文化賞を受賞しました。
美濃焼卸団地会館に陶壁を制作しました。
日本オリエント学会より三笠宮殿下に贈る「ラスター彩兎文方壷」を制作しました。
日展審査員、現代工芸美術展審査主任に就任しました。
1976(昭和51)年、東京大学イラン・イラク遺跡発掘調査団の現地発掘調査に参加しました。
1978(昭和53)年、外務省より委嘱され、「ラスター彩鶏冠壷」を制作しました。
1980(昭和55)年にイラン文化省より招聘を受け、
バグダッド大学で客員教授として陶芸指導を行いました。
宮内庁正倉院より「正倉院三彩」の復元制作を委嘱され、三彩を本格的に手掛けます。
1983(昭和58)年、岐阜県重要無形文化財に認定されました。
1986(昭和61)年、駐日トルコ大使館、イスタンブール国立トプカプ宮殿博物館で個展開催しました。
1988(昭和63)年、「三彩鼓胴」を正倉院事務所に納入しました。
新工芸展で文部大臣賞を受賞しました。
紫綬褒章を受章しました。
1989(平成元)年、「二彩鉢」を正倉院事務所に納入しました。
1990(平成2)年、日本工芸会正会員となりました。
1991(平成3)年、美濃陶芸協会名誉会長に就任しました。
1992(平成4)年、伊勢神宮の御神宝「陶猿頭形御硯」を制作しました。
1995(平成7)年、重要無形文化財「三彩」の保持者(人間国宝)に認定されました。
1996(平成8)年、岐阜県名誉県民の称号を受けました。
2005(平成17)年、故人として織部賞の特別賞を受賞しました。
江戸時代から続く名門窯の跡継ぎとして生まれ、
当初は志野、織部、瀬戸、油滴天目等の伝統的技法に基づいた作品制作に取り組みました。
世界的陶器であるペルシア古陶の斬新な色彩や独創的造形に魅了され、
ラスター彩、青釉、色絵、三彩等を現代に再現したペルシア陶器の第一人者です。