江戸大西家
Edo Onishi
江戸大西家
江戸大西家は大西定林が父・京都大西家2代大西浄清と江戸に下り、
定林が江戸に留まって興した一家(釜師)です。
以後、大西家は京都と江戸に分かれて釜作を行いますが、
江戸大西家は天保年間(1830~44)頃に絶家したと伝えられます。
江戸大西家初代 大西定林 生年不詳~1727(享保12)年
江戸大西家初代大西定林は京都大西家2代大西浄清の次男として生まれました。
名を延貞、通称を五郎左衛門といいます。
父と江戸に下り、定林は江戸に留まって「江戸大西家」を興しました。
宝永年間(1704~11)から宝暦年間(1751~64)の『武鑑』には、
「御釜師 鑓屋丁 釜屋五郎左衛門」と記された幕府御用釜師でした。
東京国立博物館蔵の「井桁釜」を始めとし、
「からげ釜」等の変わった形の釜も造りました。
江戸大西家2代 大西五郎左衛門 生年不詳~1744(延享元)年
江戸大西家2代大西五郎左衛門は江戸大西家初代大西定林の子として生まれました。
通称を五兵衛(後に五郎左衛門)といいます。