ドーム兄弟
Daum Frères
ドーム兄弟
長男・オーギュスト(1853-1909)と三男・アントナン(1864-1930)は、
「ドーム兄弟」の名で知られるフランスのガラス工芸家であり、
アール・ヌーヴォーを代表する存在として国際的な評価を確立しました。
彼らの父であるジャン・ドーム(1825–1885)はロレーヌ地方ビッチュの出身でしたが、
普仏戦争後の領土変更により故郷がドイツ領となった為、家族と共にナンシーへ移住しました。
移住先で投資していたガラス工場が経営難に陥ったことを受け、
1878年に会社を買収した事が、ドーム家によるガラス工芸の歩みの始まりとなります。
当初は業績が振るわず、工場ではビストロ用のグラスや蝋燭皿、時計用ガラス等、日用品の製造に留まっていました。
しかし、1879年にオーギュストが参画し、更に1887年にはパリ中央技術学校を卒業したアントナンが帰郷します。
兄を説得し、高級工芸ガラスへの転身を決意させた事で、芸術的飛躍への道が開かれました。
1891年に「アトリエ・ダール(芸術工房)」を新設し、
オーギュストが経営を担い、アントナンがアート・ディレクションを指揮する共同体制が確立されます。
1893年には美術家のジャック・グリュベール(1870–1936)を招聘し、
シカゴ万国博覧会で国際舞台へのデビューを果たしました。
1894年のロレーヌ装飾美術展、1897年のブリュッセル万国博覧会では金メダルを受賞し、
後者では約300点の作品がほぼ完売するという快挙を成し遂げました。
この成功の背景には、兄弟による明確な役割分担と、円滑な協働体制がありました。
1897年には美術家のアンリ・ベルジェ(1870–1937)がデザイン主任に就任し、アート部門が本格始動します。
ベルジェはナンシーの植物園や園芸家の農場に通い詰め、自然のモチーフを水彩画に描いて、絵付けの手本とし、
彼の手によって、ドームのアール・ヌーヴォー様式は明朗な自然賛歌として結実しました。
象徴主義的なエミール・ガレの作風とは対照的に、ドームの作品は光と生命に満ちた自然の美を讃えるものでした。
1900年のパリ万国博覧会ではガレと並んで、グランプリを受賞し、
ナンシーを代表する国際ブランドとしての地位を確立しました。
以降も、グラスゴー(1902)、セントルイス(1904)、リエージュ(1905)、ミラノ(1906)等、
各地の万国博覧会で栄誉を重ね、ナンシー派の中心的存在として活躍を続けました。
第一次世界大戦中には一時的に窯の火を落としましたが、1915年には操業を再開しました。
戦後の1920年代には社会の価値観が変化し、装飾性を抑えたアール・デコ様式が台頭する中でも、
ドーム社は柔軟な世代交代を重ねながらガラス界を牽引し続けました。
1982年にドーム家は経営から退きましたが、
現在もナンシーの工場では操業が続けられており、その精神と技術は今も受け継がれています。