沈壽官
Jukan Chin
沈壽官
初代 沈当吉 生没年不詳
2代 沈当壽 生没年不詳
3代 沈陶一 生没年不詳
4代 沈陶園 生没年不詳
5代 沈当吉 生没年不詳
6代 沈当官 生没年不詳
7代 沈當吉 生没年不詳
8代 沈当園 生没年不詳
9代 沈当栄 生没年不詳
10代 沈當近 生没年不詳
11代 沈壽蔵 生没年不詳
12代 沈壽官 1835(天保6)年~1906(明治39)年
1857(安政4)年に薩摩藩営陶磁器製造所の支部が苗代川に設立され、
12代沈壽官が磁器方主取に任命されました。
1871(明治4)年の廃藩置県によって藩の庇護を失うと、
「苗代川陶器会社」が設立されて工場長に就任しました。
1873(明治6)年のウィーン万国博覧会に出品された12代沈壽官の錦手が好評を博しますが、
洋食器生産の失敗から1874(明治7)年に解散しました。
1875(明治8)年に12代沈壽官は「玉光山陶器製造場(現:沈壽官窯)」を設立し、
苗代川焼の再興に全力を傾けました。
東京、横浜(神奈川県)、神戸(兵庫県)、長崎に支店や出張所を置いて海外販路を求めました。
1885(明治18)年、農商務卿・西郷従道より功労賞を受賞しました。
1887(明治20)年、自家内に「陶器画研究所」を設立して後継者の育成に尽力しました。
1893(明治26)年、北白川宮両殿下の御台臨を賜りました。
1901(明治34)年、産業発展の功労者として勅定の緑綬褒章を受章しました。
透かし彫りの名手として高度な技術に基づいた作品は高く評価され、
「薩摩焼中興の祖」とも仰がれています。
13代 沈壽官 1889(明治22)年~1964(昭和39)年
13代沈壽官は12代沈壽官の長男として鹿児島県に生まれました。
本名を正彦といいます。
1906(明治39)年、13代沈壽官を襲名しました。
1922(大正11)年、苗代川陶器組合長に就任しました。
1931(昭和6)年、下伊集院村会議員に就任しました。
1937(昭和12)年、「苗代川陶磁器参考館」を自宅に設立しました。
1940(昭和15)年、薩摩統制工業組合理事に就任しました。
1941(昭和16)年、薩摩陶器株式会社専務取締役に就任しました。
1951(昭和26)年、鹿児島県陶磁器協同組合理事に就任しました。
下伊集院村会議長に就任しました。
1960(昭和35)年、鹿児島県特産品協会理事に就任しました。
1963(昭和38)年、産業発展の功により県民表彰を受けました。
内外幾多の展覧会で最高位賞を受けて政府より位階を贈られる等、
栄光に満ちた生涯を過ごしました。
14代 沈壽官 1926(大正15)年~2019(令和元)年
14代沈壽官は13代沈壽官の長男として鹿児島県に生まれました。
本名を大迫恵吉といいます。
早稲田大学政経学部を卒業後は東京で代議士秘書を務めていましたが、
1961(昭和36)年から作陶生活に入りました。
1964(昭和39)年、14代沈壽官を襲名しました。
1973(昭和48)年、社会教育振興の功労により文化大臣感謝状を受賞しました。
1984(昭和59)年、文部大臣表彰を受賞しました。
1987(昭和62)年、地域文化功労賞文部大臣表彰(文化財保護功労)を受賞しました。
1989(平成元)年、大韓民国名誉総領事に就任しました。
1993(平成5)年、フランス国際陶芸ビエンナーレでフランス政府首相奨励賞を受賞しました。
大韓民国大田世界博覧会組織委員会長より感謝状を受賞しました。
鹿児島県民表彰を受けました。
1996(平成8)年、南日本文化賞を受賞しました。
1998(平成10)年、鹿児島県知事薩摩焼振興功労賞表彰を受賞しました。
1999(平成11)年、大韓民国銀冠文化勲章を受章しました。
名誉博士号を受けました。
2000(平成12)年、早稲田大学より芸術功労賞を受賞しました。
2003(平成15)年、大韓民国国済州道国際自由都市名誉弘報大使に就任しました。
2010(平成22)年、旭日小綬章を受章しました。
優美で気品に満ちた「白薩摩」、素朴で力強い「黒薩摩」、辰砂や鉄絵等も幅広く手掛け、
薩摩焼宗家としての名に相応しい創作活動を広く展開しました。
又、日韓の親善交流に果たした努力の数々は枚挙に遑がありません。
司馬遼太郎著『故郷忘じがたく候』のモデルとしても知られています。
司馬遼太郎によって井戸水が光る趣の「井光釉」と命名された独特の黒釉を開発し、
氏の芸術の特質を的確に言い表したものとして世に知られています。
15代 沈壽官 1959(昭和34)年生
本名を一輝といいます。
1983(昭和58)年、早稲田大学を卒業しました。
1984(昭和59)年、京都市立工業試験場を修了しました。
1985(昭和60)年、京都府立陶工高等技術専門校を修了しました。
1988(昭和63)年、イタリア国立美術陶芸学校を修了しました。
1999(平成11)年、15代沈壽官を襲名しました。
三笠宮寛仁親王妃信子様に御来窯御台臨を賜りました。