芳村観阿

Kana Yoshimura

芳村観阿 1768(明和5)年~1848(嘉永元)年

 芳村観阿は名を明昭、通称を丸屋善右衛門・太郎兵衛、
号を物外・指月斎・聴笙・苦楽庵・白酔庵といいます。
富裕の町家で多くの書画・骨董を蔵していましたが、
34歳で遁世の志をもって襲蔵の器物を知友に与え、
剃髪して妻女も捨て江戸浅草に庵を結びました。
「白酔庵」と命名した庵名は最も知られる事になりました。
鑑識眼に優れて愛蔵した茶道具には優品が数多いです。
松平不昧公に寵愛され、その名器蒐集にも尽力しました。
俊乗房重源の東大寺再建勧進帳を東大寺に寄進した事で、
大仏殿前の小丘に生前に墓碑の建立を許可されました。
撰文は亀田鵬斎で筆蹟は酒井抱一という江戸を代表する文人の支持も得ていました。