玉楮象谷

Zokoku Tamakaji

玉楮象谷 1806(文化3)年~1869(明治2)年

 玉楮象谷は藤川理右衛門の長男として讃岐国に生まれました。
本姓を藤川、名を為三、字を子成、通称を敬造、号を蔵黒・紅花緑葉堂といいます。
1826(文政9)年に京都に遊学し、
11代永樂善五郎(保全)や大徳寺435世大綱宗彦を始めとした著名人と交友を広めました。
堆朱、存清、蒟醤等を研究して独自の技法を創案し、
讃岐国高松藩9代藩主・松平頼恕に優れた技術を認められ、
30歳で帯刀を許されました。
34歳で献上した犀角印籠が素晴らしい出来栄えであった事から、
「玉楮」姓を賜りました。
中国宋代の名工である「玉」が3年を掛けて「楮」の葉形盆を造って皇帝に献上し、
工人として召し抱えられたという故事に由来します。
「象谷塗」や「讃岐彫」と称される香川漆芸の礎を築き上げた始祖であり、
毎年の春には「玉楮象谷忌茶会」が盛大に開催されています。
松平公益会保存の「堆朱鼓箱」や「蒟醤料紙箱並硯箱」は重要美術品に指定されています。