三浦竹泉

Chikusen Miura

初代 三浦竹泉 1854(嘉永7)年~1915(大正4)年

 初代三浦竹泉は畳屋・渡辺伊兵衛の次男として京都に生まれました。
名を政吉、通称を駒次郎・政、名を竹泉、号を有声居・篩月庵といいます。
3代高橋道八に師事し、1883(明治16)年に五条坂で独立しました。
創業当時は道八の門弟・治村松雨と合作し、「松雨竹泉」の銘を用いていましたが、
数年で関係を解消し、以後は「有声居」、1899(明治32)年からは「篩月庵」と号しました。
早くから出藍の誉れ高く、西洋彩色を日本磁器に応用した釉薬透明紋を開発しました。
1904(明治37)年に染付磁器に玉、貴石、珊瑚を挿入して彩色に応用する技法、
1907(明治40)年に黄色原料を釉薬に用いて淡黄地に浮き彫りを施す技法を発表し、
内外の展覧会やシカゴ、パリの万国博覧会等で称賛を博しました。
明や清時代の陶磁器に手本を求めた作品にも優れたものが確認されています。
煎茶を好んで当時の文人墨客との交友を重ねました。
画を田能村直入に学び、漢学にも造詣深く、
朱笠亭の『陶説』を訳述した『和漢対照陶説』を出版しました。

2代 三浦竹泉 1882(明治15)年~1920(大正9)年

 2代三浦竹泉は初代三浦竹泉の長男として京都に生まれました。
名を敬太郎(後に竹泉)、号を埴隠・篩月庵といいます。
1915(大正4)年、2代三浦竹泉を襲名しました。
創作の才に富み、父に師事して煎茶器の制作に精妙を極めました。
若くして名工の誉れ高かったのですが、早世しました。

3代 三浦竹泉 1900(明治33)年~1990(平成2)年

 3代三浦竹泉は初代三浦竹泉の三男として京都に生まれました。
名を三郎(後に竹泉・竹軒)、号を篩月庵といいます。
1921(大正10)年、3代三浦竹泉を襲名しました。
1931(昭和6)年、庸蔵に家督を譲って分家し、「竹軒」と称しました。

4代 三浦竹泉 1911(明治44)年~1976(昭和51)年

 4代三浦竹泉は2代三浦竹泉の長男として京都に生まれました。
名を庸蔵(後に竹泉)、号を篩月庵といいます。
1931(昭和6)年、4代三浦竹泉を襲名しました。
1972(昭和47)年、長男・徹に家督を譲って隠居しました。
作風は極めて巧緻にして優美です。

5代 三浦竹泉 1934(昭和9)年生

 5代三浦竹泉は4代三浦竹泉の長男として京都に生まれました。
名を徹といいます。
1957(昭和32)年、同志社大学文学部を卒業後、父に師事しました。
1972(昭和47)年、5代三浦竹泉を襲名しました。
京焼の伝統技術を保存伝承する傍ら、
常に新しい感覚を採り入れた創作に専念しています。