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 天平堂

松林豊斎

Housai Matsubayashi

朝日焼

朝日焼とは古くから茶の産地として名高い京都府宇治市で焼成されている陶器です。
慶長年間(1596~1615)に奥村次郎右衛門(陶作)が朝日山麓で開窯した事に始まり、
小堀遠州の指導を受けた後は「遠州七窯」の一つに数えられるまで隆盛しました。
遠州筆といわれる「朝日」印や、
小堀権十郎筆といわれる「卓朝日(「朝」の偏が「卓」)」印を授かり、
4代長兵衛の時には屋号を「俵屋」、姓を「松林」として遠州好みの茶器を焼成しましたが、
江戸中期には厳しい時代を迎え、
5~7代の長兵衛は半農(製茶業)半陶の生活を余儀なくされます。
この兼業期間は「古朝日」と区別し、「後朝日」印を遠慮して用いています。
幕末に至って煎茶の流行と共に再興の気運が出てくると、
8代長兵衛は公卿・庭田家の下で朝日焼の再興を願って奔走しました。
9代長兵衛はその念願を果たすべく新しい時代への取り組みを模索し、
「朝日焼中興の祖」と仰がれています。
こうした時代の変遷と共に伝統と技術が現在にまで伝えられています。
朝日焼は鹿背(鹿の背中のような細かい斑文)や燔師(ほのぼのとした薄紅色)を始めとし、
三島や刷毛目等を特色とする京風の雅で洗練された表現が象徴的です。
温かみある土味に斑文が浮かぶ朝日焼は茶陶としての地位を揺るぎないものにしています。


初代 陶作 生没年不詳


2代 陶作 生年不詳~1670(寛文10)年


3代 陶作 生年不詳~1695(元禄8)年


4代 長兵衛 生年不詳~1733(享保18)年


5代 長兵衛 生年不詳~1763(宝暦13)年


6代 長兵衛 生年不詳~1786(天明6)年


7代 長兵衛 生年不詳~1825(文政8)年


8代 長兵衛 生年不詳~1852(嘉永5)年


9代 長兵衛 生年不詳~1883(明治16)年


10代 安兵衛 生没年不詳


11代 平次郎 生年不詳~1902(明治35)年


12代 松林昇斎 生年不詳~1932(昭和7)年

12代松林昇斎は11代平次郎の長男として生まれました。
本名を靏之助といいます。
1894(明治27)年、12代松林昇斎を襲名しました。
経営は依然苦しかったのですが、
再度の朝日焼の建て直しに成功して今日における礎を築き上げました。


13代 松林光斎 1891(明治24)年~1947(昭和22)年

13代松林光斎は12代松林昇斎の子として生まれました。
本名を義一といいます。
京都市立陶磁器試験場を修了後、父の薫陶を受けながら作陶に従事しました。
1932(昭和7)年、13代松林光斎を襲名しました。
1943(昭和18)年、商工省より陶磁器技術保存該当者に認定されました。


14代 松林豊斎 1921(大正10)年~2004(平成16)年

14代松林豊斎は13代松林光斎の長男として京都府宇治市に生まれました。
本名を豊彦、号を猶香庵といいます。
1943(昭和18)年、14代松林豊斎を襲名しました。
1971(昭和46)年、無煙登窯を築窯しました。
1975(昭和50)年、無煙登窯に穴窯を併設しました。
三笠宮妃殿下、三笠宮容子内親王殿下に御来窯御台臨を賜り「玄窯」の御命名、
「豊斎」印を拝領しました。
1995(平成7)年に京都・大徳寺本山で得度し、
大徳寺520世雪底宗潭より「猶香庵」の号を授かりました。
伝統的作風を追求しながら独自の細やかで瀟洒な世界を展開しました。
温かみある土味に浮かぶ御本(淡紅色の斑文が肌の随所に現れた状態)は、
主に燔師(ほのぼのとした薄紅色)と鹿背(鹿の背中のような細かい斑文)に区分されています。
朝日焼の鹿背や紅鹿背は素焼きをしない生掛け焼成の技法が執られており、
松割木を用いた登窯では茶入等の逸品物、LPガス炉では数物を焼成します。


15代 松林豊斎 1950(昭和25)年生

15代松林豊斎は14代松林豊斎の長男で本名を良周といいます。
1974(昭和49)年、武蔵野美術大学基礎デザイン学科を卒業しました。
1994(平成6)年、高円宮妃殿下より「朝日」の刻印を拝領しました。
1995(平成7)年、15代松林豊斎を襲名しました。
1998(平成10)年、韓国・千漢鳳の窯で高麗茶碗を制作しました。
2004(平成16)年、襲名十周年記念日本橋三越展で高円宮妃殿下に御台臨を賜りました。
2005(平成17)年、京王百貨店の先代猶香庵遺作展で三笠宮両殿下に御台臨を賜りました。
2007(平成19)年、日本橋三越展で高円宮妃殿下に御台臨を賜りました。


16代 松林豊斎 1980(昭和55)年生

16代松林豊斎は15代松林豊斎の長男として生まれました。
本名を祐典といいます。
2003(平成15)年、同志社大学を卒業後、日本通運海運事業部に就職しました。
退社後は京都府立陶工訓練校にて轆轤を学び、
後に父の許で修行します。
2015(平成27)年、英国セントアイブスのリーチ・ポタリーにて作陶しました。
フランスのギメ東洋美術館で作品展示と茶会を行いました。
2016(平成28)年、16代松林豊斎を襲名しました。
高円宮妃殿下より「朝日」の印を拝領しました。
2018(平成30)年、茶碗が英ウェールズのカーディフ国立博物館に収蔵されました。


松林俊幸 1983(昭和58)年生

松林俊幸は15代松林豊斎の次男として生まれました。
2006(平成18)年、多摩美術大学美術学部を卒業しました。

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