久須美疎安

Soan Kusumi

久須美疎安 1636(寛永13)年~1728(享保13)年

 久須美疎安は藤村庸軒の娘婿です。
通称を小兵衛(小右衛門)、号を疎安・洗竹庵・鷯巣子(鶴巣子)・河東散人といいます。
千宗旦の最晩年の弟子で庸軒に私淑して茶法を極め、
茶道具の鑑識にも通じ、
その所持した物や箱書を求められた物には名器が遺されています。
後半世は洛東岡崎に幽棲して専ら茶事を嗜み、
京極高広(安智)や石川自安と共に岡崎の三老(三隠士)と呼ばれた侘び数寄者です。
1591(天正19)年に千利休が秀吉から堺の自宅に蟄居を命ぜられて下る時に、
袖中にしたという鷲棗が庸軒の所有に帰していたのを、
1698(元禄11)年に疎安が譲られています。
1701(元禄14)年、庸軒による宗旦からの口述を『茶話指月集』として版行しました。
花押は疎安の「疎」と「安」を組み合わせた二合体です。