高取耳付水指(14代 亀井味楽)
40,000円(税込)
手取りが軽い薄造りの瀟洒な作品です。変化に富んだ窯変が美しい景色を生み出しています。
- 作者
- 14代 亀井味楽
1931(昭和6)年生~2014(平成26)年
福岡市無形文化財
- 重量
- 784g
- 胴径
- 16.7×16.0cm
- 口径
- 12.4×11.9cm
- 高さ
- 15.3cm
- 底径
- 12.0cm
- 次第
- 塗蓋
共箱(裏千家15代 鵬雲斎宗室 書付)
- 状態
- 完品
使用感のない良好な状態を保っています。
14代 亀井味楽(又生庵) 1931(昭和6)年~2014(平成26)年
14代亀井味楽は13代亀井味楽の孫として福岡県に生まれました。
本名を源八郎、号を味楽・又生庵といいます。
1943(昭和18)年に福岡県中学修猷館を卒業後、
1946(昭和21)年から祖父に師事しました。
1955(昭和30)年、福岡県美術協会賞を受賞しました。
1959(昭和34)年、福岡県美術展で佳作賞を受賞しました。
1963(昭和38)年、福岡県美術展で美術協会賞を受賞しました。
1964(昭和39)年、福岡県美術展で福岡県教育委員会賞を受賞しました。
福岡県美術協会会員に推挙されました。
14代亀井味楽を襲名しました。
1966(昭和41)年、日本伝統工芸西部工芸展で受賞しました。
日本工芸会西部支部幹事長に就任しました。
1968(昭和43)年、西日本婦人文化サークル常任講師に就任しました。
1972(昭和47)年、福岡市美術展審査員に推挙されました。
1975(昭和50)年、「高取耳付茶入」が北九州市民芸資料館に収蔵されました。
三笠宮妃殿下に御来窯御台臨を賜りました。
福岡市美術展審査員に就任しました。
1976(昭和51)年、福岡市美術展審査員、福岡県立文化センター常任講師に就任しました。
1977(昭和52)年、福岡市美術展運営委員、福岡市美術展審査員、福岡文化連盟理事に就任しました。
福岡市無形文化財に認定されました。
1978(昭和53)年、福岡市美術展審査員に就任しました。
1982(昭和57)年、「夏草花文飾鉢」が米国オハイオ州クリーブランド美術館に買い上げられました。
福岡市美術展審査員に就任しました。
1983(昭和58)年、福岡県美術展審査員、日本陶磁協会博多支部長に就任しました。
1984(昭和59)年、西日本陶芸展でテレビ西日本賞を受賞しました。
1986(昭和61)年、福岡市美術展招待賞、芸術公論賞を受賞しました。
1987(昭和62)年、福岡県展審査員に就任しました。
1988(昭和63)年、国際芸術文化賞を受賞しました。
1989(平成元)年、福岡市美術展審査員に就任しました。
1991(平成3)年、福岡県技能功労賞を受賞しました。
1992(平成4)年、ポール・アンビニュー大賞を受賞しました。
米国センチュリー大学芸術博士号を取得しました。
福岡県陶磁展講師に就任しました。
1993(平成5)年、インターアート特別賞を受賞しました。
福岡県陶芸作家選抜展で選考委員に就任しました。
福岡市市民大学講座講師に就任しました。
1996(平成8)年、福岡市文化賞を受賞しました。
1999(平成11)年、福岡市教育文化表彰を受けました。
2001(平成13)年、京都・大徳寺本山で得度し、大徳寺520世雪底宗潭より「又生庵」の号を授かりました。
黄綬褒章受章しました。
祖父に師事して江戸時代の高取焼の再現に取り組み、
きめ細かい土を用いた瀟洒で端正な遠州好みの茶入制作を得意としました。
数多くの高取焼の名品を所蔵し、展示室を設けて一般にも公開しています。
祖父の許での修行中に見た福岡・崇福寺の寺宝「金結晶釉天目茶碗」に魅せられ、
復元に挑んで失敗を繰り返しながら50年余りの歳月を経て金彩釉の作品を発表しました。
伝統技法を駆使した新境地である絵高取の作品も公開しました。
裏千家15代 鵬雲斎宗室 1923(大正12)年生
裏千家15代鵬雲斎宗室は裏千家14代淡々斎宗室の長男として生まれました。
幼名を宗興、名を宗室・玄室、号を鵬雲斎・汎叟といいます。
1946(昭和21)年、同志社大学法学部経済学科を卒業後、ハワイ大学に修学しました。
1949(昭和24)年、大徳寺503世瑞巌宗碩より安名「玄秀宗興居士」、斎号「鵬雲斎」を授かりました。
1964(昭和39)年、裏千家15代家元を襲名しました。
1973(昭和48)年に妙心寺管長・梶浦逸外より虚心の法名「垂示」を授かり、虚心庵住職に就任しました。
藍綬褒章を受章しました。
1980(昭和55)年、紫綬褒章を受章しました。
1983(昭和58)年、京都市文化功労者として表彰を受けました。
1989(平成元)年、外務大臣表彰、防衛庁長官表彰、文化功労者として表彰を受けました。
1991(平成3)年に『茶経と我が国茶道の歴史的意義』の論文で中国国務院学位委員会の審査試問を経て、
南開大学より外国人初の「哲学博士号」を授与されました。
1994(平成6)年、勲二等旭日重光章を受章しました。
1995(平成7)年、国際交流基金賞を受賞しました。
1997(平成9)年、茶道界として初の文化勲章を受章しました。
2002(平成14)年、長男・宗之に家督を譲って、大宗匠「千玄室」と改名しました。
「玄室」とは裏千家4代仙叟宗室の襲名前の名で、
裏千家12代又玅斎宗室も家督を譲って隠居してからは「玄室」を名乗りました。
中華人民共和国文化交流貢献賞を受賞しました。
2005(平成17)年、外務省より日本・国連親善大使の称号を受けました。
国際ロータリー栄誉賞を受賞しました。
社団法人茶道裏千家淡交会理事、財団法人国際茶道文化協会名誉顧問、国際ロータリー日本財団会長、
財団法人日本国際連合協会会長、財団法人京都市国際交流協会理事、財団法人平安建都1200年記念協会会長、
京都市生涯学習総合センター所長、財団法人生涯学習かめおか財団理事、社団法人日本馬術連盟会長、
国連機関沖縄誘致推進センター顧問、日本青年会議所会頭、国際青年会議所副会頭、中央教育審議会委員、
国語審議会委員、社会教育審議会委員、大学審議会委員、京都府公案委員会委員、日本オリンピック委員会評議員、
宝塚造形芸術大学大学院教授、中国芸術研究院芸術顧問、京都学園大学名誉教授、
中国・天津商業大学裏千家茶道短期大学学長、中国・南開大学東方芸術学部顧問教授、
ハワイ大学歴史学部教授、モスクワ大学名誉教授等の要職を歴任しました。
世界の多くの大学で日本文化・茶道の講座を開設して学術交流に貢献した事から、
ハワイ大学人文学名誉学位文学博士号、マウントホリヨーク大学名誉法学博士号(アメリカ)、
シートンホール大学名誉文学博士号(アメリカ)、サンマルコス国立大学名誉博士号(ペルー)、
フェデリーコ・ビアレアール国立大学名誉博士号(ペルー)、翰林大学名誉医学博士号(韓国)、
ブリティッシュ・コロンビア大学名誉文学博士号(カナダ)、同志社大学名誉文化博士号、
国土舘大学名誉博士号、立命館アジア太平洋大学名誉博士号等、
内外の大学より名誉学位を授与されました。
海外でも茶道文化による国際文化交流・親善に寄与した功労で、
芸術文化勲章コマンドール(フランス)、レジオン・ドヌール勲章オフィシエ(フランス)、
ドイツ連邦共和国一等功労十字章、獅子勲章コマンダー一等章(フィンランド)、
サンフランシスコ科学芸術功労章(ブラジル)、クルゼイド・ド・スル勲章(ブラジル)、
グラン・オフィシャル勲章(ペルー)、勲三等白象章(タイ)、ディレクナポーン勲章(タイ)等、
各国より多数の勲章を受章しました。
又、京都市名誉市民、小松市名誉市民、世界の都市の名誉州民・市民となっています。
茶道界のトップリーダーとして文化の継承に貢献するだけでなく、
国際的な広い視野で「一碗からピースフルネス」という茶道を通じた平和理念を提唱し、
茶道文化の発展と世界平和の希求に向けた活動を展開しています。