LOADING

 天平堂
Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-y1

三島平盃(朝鮮時代)

御売却済

品位ある侘びた趣が感じ取れる三島平盃です。制作過程において反った姿形が天啓赤絵の反鉢を連想させ、深い見込みの良く使い込まれた柔らかな釉調が優しくお酒を受け止めてくれます。内部には三島、外面には刷毛目の技法が用いられ、小振りの高台もバランスが良く、総体に引き締まっています。小服茶碗に見立てても面白いです。

商品コード
230722-5
時代
朝鮮時代
16世紀
重量
127g
口径
11.7×9.5cm
高さ
4.7cm
底径
3.4cm
次第
時代箱
状態
完品(無傷)

見事な土味に柔らかな釉調と良好な状態を保っています。制作過程において隣の器物と接触し、口縁が反っています。口縁に僅かなノミホツが見られますが、欠点対象にはならず、無傷(完品)の範疇と云えます。

Photo Gallery

  • Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-1
  • Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-2
  • Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-3
  • Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-4
  • Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-5
  • Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-6
  • Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-7
  • Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-8
  • Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-9
  • Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-10
  • Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-11
  • Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-12
Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-1
Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-2
Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-3
Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-4
Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-5
Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-6
Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-7
Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-8
Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-9
Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-10
Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-11
Mishima Sake Cup(Joseon Dynasty)-12

Video

李朝(李氏朝鮮)

李朝とは1392年に李成桂が朝鮮半島に建国した朝鮮最後の統一王朝です。
朝鮮の国号は李成桂が明国王に認知を求め、1393年に採択した経緯があります。
「李朝」の呼称は通称にすぎませんが、
日本ではこの通称が定着して長く用いられています。
漢城(現:ソウル)を首都とし、
政治理念を儒教において絶対的な社会性としました。
国教である儒教の精神は人々の生活の規範として深く浸透し、
現世の実質的生活を尊び、清廉潔白を崇め、醇朴で倹素な気風を養う事が理念とされます。
節用を重んじた体制下では遂に色絵が焼成される事はありませんでした。
このように李朝では高麗時代の仏教が衰え、抑仏崇儒政策が急速に推し進められました。
「白」は神聖と簡素を旨とする清浄無垢な色彩であり、
祭器においても白磁が用いられました。
祭器は李朝全期を通して盛んに焼成されましたが、
儒教が人々の心の奥にまで浸透してきた李朝中期は特に注目されています。
李朝前期の体制に従う為だけの儀式も李朝中期には精神の拠り所として根付いていきます。
李朝前期における祭器の使用は社会の上層部だけに限られていましたが、
李朝中期以降は一般庶民も儀式に従って先祖の霊を祭る習慣が生活の中心を占めてきます。
こうして国全体における祭器の需要は膨大なものとなり、
増加の傾向を辿っていきました。
日清戦争(1894~1895)後の1897年に国号を「大韓」と改称しました。
日露戦争(1904~1905)後は日本の保護国となり、
1910年の韓国併合で滅亡しました。


三島

三島とは象嵌文様のある粉青沙器です。
「三島」という名称の由来には、
象嵌文様が三嶋大社(静岡県)の三嶋暦の字配りに似る事に因んで名付けたとの説が有力で、
三島(現:巨文島)を経由して請来された事に因んで名付けたとする説も知られています。
高麗時代に隆盛した象嵌青磁が徐々に衰退し、
1392年に李成桂が李氏朝鮮を建国した後の新時代を反映するかのように、
15世紀に象嵌技法を駆使した作風に転化しました。
素地が生乾きの軟らかい間に陰刻や印花で文様を施して白土を埋め込みます。
鉄分を多く含んだ素地に表現された白象嵌は釉薬を通して雅味が感じられ、
慎ましいながらにも華やいだ静かなる品格を備えています。
侘び茶が隆盛した室町~桃山時代には茶の湯に取り上げられ、
唐物茶碗の硬質さと異なった持ち味は以後の茶の湯の世界に新しい展開を促しました。
文様や技法によって暦手、花三島、礼賓三島、彫三島、刷毛三島、御本三島等に分類され、
その無垢な味わいや温かみは日本の茶人に愛玩されてきました。
主たる茶碗の一つとして「写し」も繰り返し手掛けられています。


刷毛目

刷毛目とは鉄分の多い素地に刷毛で白泥を施し、
透明釉を掛けて焼成した粉青沙器です。
粗雑な素地を白磁のように美しく見せようと白化粧を行う際、
白泥の中にどっぷりと浸し掛けにすると水気が回って壊れ易くなる為、
刷毛で塗る方法が取られた事に始まったという説や、
作業工程を簡略化したという説等も知られています。
日本に将来された粉青沙器の刷毛目茶碗は茶人間で珍重されました。
時代や装飾上の特徴から様々な名称が与えられ、
和物茶碗においても意匠化されました。
茶碗では平たい端反りの器形が多く見られます。