宝珠形を模った風炉用の釜です。柚肌で鐶付は鬼面となっています。宝珠は災難を除き、濁水を清くする徳があるとされ、意の如く願望を成就させてくれると云われます。
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- 商品コード
- 220111-4
- 作者
- 11代 大西浄寿
1808(文化5)年~1875(明治8)年
- 重量
- 2,320g
- 径
- 18.6×17.7cm
- 口径
- 10.0cm
- 高さ
- 18.8cm
- 底径
- 11.8cm
- 次第
- 共箱
- 状態
- 良好
釜師により内部の錆びを落とし、焼き抜きし、漆処理して頂いております。数回、火に掛けておりますので、そのままご使用頂けます。
11代 大西浄寿 1808(文化5)年~1875(明治8)年
11代大西浄寿は10代大西浄雪の養子です。
旧姓を森、幼名を清吉、名を三右衛門(後に清右衛門)、諱を道敬といいます。
幼くして浄雪の養子となり、
釜の型裏を砥石で磨く事を創始しました。
表千家11代碌々斎宗左より「浄寿」の号を授かりました。
代表作に「玄々斎好み常盤釜・常盤風炉」、「同鯱釜」、「吸江斎好み福庵釜」、「筋広口釜」、
「碌々斎好み羽子板釜」、「竹猗好み雲脚堂釜」、「阿弥陀堂形尻張釜」等が知られています。
作風は豪放華麗で力強く、仕上げにも創意工夫を凝らし、
近世の大西家の伝統に独自の境地を開きました。
茶の湯釜
茶の湯釜は席入りから退出まで常時替わらない亭主の成り代わりです。
「釜を懸ける」とは茶会を催す事を意味し、
その日の出来事を思い返しながら、
独服する心中は曇りのない清澄な境地に至るといっても過言ではありません。
茶の湯釜の主たる生産地は大きく四箇所に分けられます。
筑前(福岡県)の「芦屋釜」や佐野(栃木県)の「天命釜」が茶の湯釜の発祥地ですが、
後の千利休の時代に京都の三条釜座で多くの名工が輩出されると、
茶の湯釜の中心は「京釜」となり、
江戸時代には関東で江戸名越家、江戸大西家、堀家、山城家が「関東作釜」を成しました。
芦屋や天明等の鋳物師集団は「金屋」、工人は「金屋大工」と名乗りましたが、
江戸中期頃からは「釜師」と称するようになります。
釜師は依頼者である茶人や数寄者の好みや要望に応えるべく、
点前の変遷、趣向に合わせながら技巧を凝らしました。
大振りの釜は炉の季節(11月~4月)、
やや小振りの釜は風炉の季節(5月~10月)に使用されます。