古美術 天平堂

Special Preview先行紹介

古平戸染付松千鳥文水指(幕末~明治初期)

御売却済

清澄な品位を醸し出す古平戸水指の優品です。水辺の風景に配された千鳥の群れが茶席を和ませてくれます。摘みの象も平戸細工を象徴する精緻な作行を示し、長崎街道(シュガーロード)を通って、江戸へ向かった「享保の象」と結び付けて、使用しても面白いかと思います。

商品コード
221214-1

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時代
幕末~明治初期
19世紀
重量
2,560g
胴径
19.0cm
口径
12.4cm
高さ
22.0cm
底径
11.1cm
次第
塗蓋
時代箱
状態
完品(無傷)

柔らかみある綺麗な地肌、美し染付の発色、焼き上がりも秀抜です。底(土見せ)に僅かな削げがありますが、完品(無傷)といえる範疇です。

平戸焼

平戸焼とは肥前国平戸藩松浦家の庇護の下に御用焼として焼成された陶磁器です。
純白な肌に御用絵師の緻密な絵付けが施され、
細工・彫刻で知られる多種多様の技法は他窯では見られない至芸です。
松浦家が一貫して補助を続けた事で知られており、
茶道・鎮信流の大名のお好み窯だけに繊細優美な神経が隅々にまで行き届いています。
平戸焼の源流は唐津焼にまで遡り、
平戸系古唐津の古窯として葭の本、柳の本、牛石、木原地蔵平窯等が知られています。
1616(元和2)年に渡来陶工・李参平(和名:金ヶ江三兵衛)が有田泉山で泉山陶石を発見して、
磁器焼成に成功すると平戸系古唐津の諸窯も急速に磁器窯へと転向しました。
巨関の長男・今村三之丞は良土を探し求めて領内各地を巡り、
1633(寛永10)年に針尾三ツ岳で陶石(網代土)を発見して作陶を試みますが、
満足のいく白磁制作には至らず、再び各地を探し回ったと伝えられています。
1637(寛永14)年に3代藩主・松浦隆信(宗陽)は今村三之丞を三川内に移住させ、
長葉山窯の設立を命じました。
1641(寛永18)年にオランダ商館が平戸から長崎出島に移転した為、
外国貿易による利益を失った4代藩主・松浦鎮信(天祥)は財政再建を迫られ、
産業振興策の一つとして三川内窯業の拡充強化に尽力しました。
こうして、1643(寛永20)年に平戸三皿山(三川内、木原、江永)の役所が整備されました。
1650(慶安3)年には平戸島・中野窯の陶工達を三川内・長葉山に移動させ、
その地で以前から唐津系陶器を焼成していた陶工団と合流させる事で、
平戸御用窯としての組織体制を確立していったと伝えられています。
1712(正徳2)年に横石藤七兵衛が天草から早岐港に陸揚げされる砥石(天草陶石)を発見し、
純白で緻密な細工物に特徴のある作品が生み出されました。
この天草陶石の発見により磁器としての本格的な平戸焼が始まります。
※1662(寛文2)年の今村弥次兵衛(如猿)の天草陶石発見説も知られています。
1804(文化元)年、長崎に平戸焼物産会所が設置されました。
1828(文政11)年8月の台風で有田は大火に見舞われて殆どを焼失し、
生産体制や品質が著しく落ち込んだ結果、平戸焼の需要が内外共に増加します。
1830(天保元)年、平戸焼物産会所から薄手のコーヒー碗の輸出が始まりました。
1871(明治4)年の廃藩置県で平戸焼物産会所の業務一切も民営に移されました。