古美術 天平堂

古薩摩掛分釉茶碗(江戸前期)

御売却済

端正で優美な半筒形を呈した竪野系の古帖佐茶碗です。褐釉の上から黒釉が重ね掛けされており、窯変による海鼠釉や禾目の緻密な釉調が唯一無二の魅惑的な景色を生み出しています。見込みに設けられた茶味ある鏡、厳しく削り出された高台に総釉の丁寧な仕上げと極めて高度な藩窯技術が集約されています。

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時代
江戸前期
17世紀前半
重量
395g
11.5cm
高さ
8.3cm
底径
6.9cm
次第
裏千家14代 淡々斎宗室 書付(銘:薄氷)
状態
完品(無傷)

洗練された造形、美しい釉色、優れた状態と一級品の条件を満たしています。


年表(桃山~江戸時代)


薩摩焼

薩摩焼とは薩摩国鹿児島藩島津家の庇護の下に御用焼として焼成された陶磁器です。
桃山時代における特筆すべき文化の一つは千利休による茶道確立と侘び茶の流行です。
利休門下の茶人として知られる17代当主・島津義弘も自領内での茶陶焼成を試みました。
文禄・慶長の役で朝鮮半島から陶工を召致してきた事が開窯の契機となっています。
薩摩焼諸窯は主に竪野焼、苗代川焼、元立院焼、龍門司焼、平佐焼に大別されています。
「黒薩摩(黒物)」と「白薩摩(白物)」を主体とし、
古帖佐、火計り手、宋胡録手、蛇蝎釉、鮫肌焼、錦手(金襴手)等の多彩な種類が知られます。
18世紀には平佐焼が興り、色絵や染付を中心とした華麗な装飾磁器が展開されました。
豪華絢爛の錦手は竪野系(藩窯)の窯で開発が進められ、19世紀に入って隆盛を極めました。
1855(安政2)年に28代当主・島津斉彬は、
鹿児島市吉野町磯の別邸内に磯窯(磯御庭焼)を開窯しました。
斉彬は富国強兵・殖産興業を目的とした集成館事業として、
薩摩焼においても苗代川焼の朴正官を召致して試験改良や開発研究に従事させた結果、
白盛絵具の実用化や金盛技法の確立によって錦手の完成に大きく寄与しました。
1857(安政4)年には薩摩藩営陶磁器製造所の支部が苗代川に設立され、
12代沈壽官が磁器方主取に任命されました。
磯窯は1863(文久3)年の薩英戦争で閉窯しました。
この薩英戦争を機に薩摩国と英国は協定を結びます。
1858(安政5)年に江戸幕府はアメリカとの間に日米修好通商条約を締結し、
次いで、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも修好通商条約を締結しました。
1859(安政6)年に長崎港、函館港(北海道)、横浜港(神奈川県)が開港され、
1868(明治元)年に神戸港(兵庫県)、新潟港が開港されると諸外国との貿易が開始されました。
1867(慶応3)年、鹿児島藩は朴正官の「錦手花瓶」をパリ万国博覧会に出品しました。
更に1873(明治6)年のウィーン万国博覧会に出品された12代沈壽官の錦手が好評を博し、
名声は飛躍して世界を市場にした薩摩焼の大盛況時代を迎えました。
この華麗な装飾陶器は「SATSUMA」の商標で輸出され、欧米諸国で特に愛好されました。
このように好評を博した事から其々の土地でも薩摩風陶器は生産され、
「本薩摩」に対し、「京薩摩」、「大阪薩摩」、「横浜薩摩」、「東京薩摩」等と呼ばれています。
しかし、1897(明治30)年前後から急速に人気を落として衰退の傾向を辿り、
大正年間(1912~26)には欧米諸国の需要を殆ど失いました。
要因は大量生産による粗製乱造であったとされています。
近代、錦手は主な輸出先であった欧米諸国から相次いで里帰りしています。
現在は15代沈壽官氏を中心とし、その伝統を受け継いでいます。


古帖佐

古帖佐とは薩摩藩窯で焼成された竪野系の黒釉を主体とした陶器であり、
宇都窯、御里窯、竪野冷水窯を包括し、
主に寛文年間(1661~73)以前の作品を呼び慣わしています。
「帖佐」とは鹿児島県姶良郡姶良町にあった地名です。


裏千家14代 淡々斎宗室 1893(明治26)年~1964(昭和39)年

裏千家14代淡々斎宗室は裏千家13代圓能斎宗室の長男として生まれました。
幼名を政之輔、名を永世・宗叔・宗室、
号を玄句軒・玄句斎・淡々斎・碩叟・梅糸庵・無限斎、画号を玄石といいます。
大徳寺488世全提要宗より「無限斎」、九条家より「淡々斎」の号を授かりました。
1923(大正12)年、裏千家14代家元を襲名しました。
門下の養成ばかりでなく、
各宮殿下や神社仏閣への献茶奉仕も積極的に行いました。
学校教育への茶道導入を働きかけた結果、学校のクラブ活動での大半は裏千家となります。
時には海外にまでその教化を計り、茶道普及に奔走した功績は多大です。
「社団法人 茶道裏千家淡交会」や「財団法人 今日庵」を設立し、
現代における茶道普及・伝統保持という組織機構の基礎を築き上げました。
「桐蔭席」、「甘雨亭」、「玉秀庵」等の名席も残しています。
紺綬褒章、紫綬褒章、勲三等旭日中綬章を受章しました。
一行物を始めとする遺墨や各種の著述にも大いにその才を発揮しました。