古美術 天平堂

木守写赤茶碗(7代 樂長入)

御売却済

長次郎の赤茶碗を代表する名碗「木守」を再現した特別作品です。木守とは「長次郎七種」の一つに選定される赤茶碗で、千利休が幾碗かを並べて門人に選ばせたところ、この茶碗一つが残ったところから、柿の実の収穫に際し、来年もよく実るようにと祈りを込めて、一つだけ取り残しておく「木守」の風習に因んで命銘されました。9代樂了入の識箱底に「翫土老人」印が用いられており、15代樂直入の外識箱と来歴も優れています。

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作者
7代 樂長入
1714(正徳4)年~1770(明和7)年
重量
381g
13.0cm
高さ
7.6cm
底径
5.5cm
次第
9代 樂了入 識箱(底に翫土老人印)
15代 樂直入 外識箱
状態
完品(無傷)

古樂茶碗は経年使用により、傷や直しのある作品が多いのですが、現品は一切痛みがない最高の状態を保っています。


7代 樂吉左衛門(長入) 1714(正徳4)年~1770(明和7)年

7代樂吉左衛門は6代樂吉左衛門(左入)の長男として京都に生まれました。
名を惣吉(後に吉左衛門)、号を長入・槌斎、諱を栄清といいます。
1728(享保13)年、7代樂吉左衛門を襲名しました。
1738(元文3)年、長次郎百五十回忌に赤茶碗を150碗制作しました。
1762(宝暦12)年、得入に家督を譲って隠居し、「長入」と号しました。
長次郎の「長」に由来します。
樂茶碗の伝統様式の定着、やや形式化された造形への傾向が見られ、
口縁に山のような起伏が付けられたのもこの頃であり、
後に「五岳」と呼ばれる形式性へと発展する契機を生みました。
長入茶碗の魅力はこうした形式化の造形にあるのではなく、
大振りでやや厚造りの豊かな量感を感じさせる作行にあり、
江戸中期の安定した社会風潮と自身の泰然自若とした人柄の反映といえます。
大小の茶碗を重ねた正月用の嶋台茶碗も長入から始まりました。
樂家の中でも作陶生活は特に長く、
樂家仏壇に祭られている日蓮上人像や種々の香合等の立体的な造形に秀でた才が窺え、
細工物に関しては歴代随一とされています。
妻・妙茂も陶技に優れました。
長男・得入は体が病弱だった為、隠居後も作陶を支えました。


木守

木守とは「長次郎七種」の一つに選定される赤茶碗です。
千利休が幾碗かを並べて門人に選ばせたところ、
この茶碗一つが残ったところから、
柿の実の収穫に際し、来年もよく実るようにと祈りを込めて、
一つだけ取り残しておく「木守」の風習に因んで命銘されました。
長次郎の赤茶碗を代表する名碗として伝えられますが、
1923(大正12)年の関東大震災の際、東京・松平頼寿邸で焼失しますが、
後に13代樂惺入によって僅かに焼け残った一片を嵌め込んで補作されました。


9代 樂吉左衛門(了入) 1756(宝暦6)年~1834(天保5)年

9代樂吉左衛門は7代樂吉左衛門(長入)の次男として京都に生まれました。
名を惣次郎(後に吉左衛門)、諱を喜全、号を秀人(後に雪馬)・了入・翫土軒といいます。
兄・得入が病弱であった為、
15歳の1770(明和7)年に9代樂吉左衛門を襲名しました。
安永年間(1772~81)に赤黒茶碗を200碗制作しました。
1788(天明8)年に「天明の大火」に遭って多くを失いますが、
表千家8代啐啄斎宗左を始めとする千家の力添えもあり、
樂家を再建して旺盛な作陶生活を営み、
後に「樂家中興の祖」と仰がれています。
1789(寛政元)年、長次郎二百回忌に赤茶碗を200碗制作しました。
この時に使用した印は「寛政判」、「茶の子判」と称されています。
1811(文化8)年、次男・旦入に家督を譲って隠居し、「了入」と号しました。
表千家9代了々斎宗左より「了」字を授かった事に由来します。
1818(文政元)年に赤黒茶碗を50碗制作し、
了々斎より「翫土軒」の額を授かって号としました。
1819(文政2)年、旦入と紀州徳川家御庭焼に従事しました。
1825(文政8)年、近江国石山に隠居しました。
古希を記念して赤黒茶碗を70碗制作しました。
箆削りを作陶の中心と据えて求めた中に、
精神的な心の自在性や境地へと高まる内面的な試みが垣間見え、
了入茶碗に刻まれた箆は葛藤の痕跡といえます。
妻の妙詠も陶技を嗜んで「尼焼」の茶碗や香合を紀州徳川家に献上しています。


15代 樂吉左衛門(直入) 1949(昭和24)年生

15代樂吉左衛門は14代樂吉左衛門(覚入)の長男として京都に生まれました。
名を光博(後に吉左衛門)、号を直入といいます。
1973(昭和48)年、東京芸術大学彫刻科を卒業後、イタリアに留学しました。
1981(昭和56)年、15代樂吉左衛門を襲名しました。
1987(昭和62)年、日本陶磁協会賞を受賞しました。
1988(昭和63)年、長次郎四百回忌を営みました。
1991(平成3)年、京都美術文化賞を受賞しました。
1992(平成4)年、日本陶磁協会賞金賞を受賞しました。
1993(平成5)年、MOA岡田茂吉優秀賞を受賞しました。
1997(平成9)年、織部賞を受賞しました。
1998(平成10)年、毎日芸術賞を受賞しました。
2000(平成12)年、フランス政府より芸術文化勲章・シュヴァリエを受章しました。
2001(平成13)年、京都府文化賞功労賞を受賞しました。
2006(平成18)年、MOA岡田茂吉大賞を受賞しました。
2007(平成19)年、京都市文化功労賞を受賞しました。
滋賀県守山市の佐川美術館に「樂吉左衛門館」が新設されました。
京都市文化功労者として顕彰を受けました。
2019(令和元)年、長男・篤人に家督を譲って隠居し、「直入」と号しました。
海外でも優れた活動が注目されており、
伝統の中に現代性を付与した作風は現代における樂焼を掲示しています。
「焼貫」の技法を駆使した大胆な箆削りによる前衛的な作風を確立しています。